はぁ~... このバカは
どうしようもない作品を
見ていたのだなぁ。
ウテナに関しては、さいとうちほ、
J・A・シーザー、そんでこの
キモい幾原邦彦という、
大勢の人間の良い部分が
合わさったというか、
うまい具合に調和したというか、
ビーパパスだったからこそ、
あの作品ができたのだと思う。
アニメなんぞ大嫌いだが、
ウテナは今でも見ようと思えば見れる。
が、「輪ピン」はダメだ。まるっきり
ゴミというわけでもが、やっぱ無理。
別に幾原邦彦が嫌いとかじゃなくて、
作品として輪ピンは評価できない。
今思い出そうとしても、
どういう話だったか
覚えてもいない。
なんか裸の女がクネクネと出てきて、
ケバいBGMがギャンギャンと流れて、
「よくわからん」という印象が
漠然と残ってるだけ。
で、その漠然と残った印象から感じる
素直な感想は 「なんかキモい」と
「アホくさい」だけだ。
べつに裸の女だろうが
ケバいBGMだろうが
それはいいんだよ、
問題は中身だ。
だが脚本にしても、多分あれ
場当たり的に書いたよね?
途中で路線変更したよね、実際。
なんか主人公っぽい男が2人居て、
女ったらしの方の男の実妹は、
どうみても最初の方では
妹って設定じゃなかったよな。
二転三転するストーリーは
悪いわけじゃないけど、 輪ピンは
意図してやってるわけじゃなくて、
二転三転したように見せかけて、
全然うまくいってねぇぞ。
アニメばっかり見てるアホなら
「やっぱ幾原邦彦ってすげぇなー!」
とか思うのかもしれないけど、
ともかく全体的にガタガタな内容で、
なんかよくわからん要素を
あれこれブチ込み凄そうに見せかけて、
最後は「カンパネルラがなんたら」
とか ほざいて終わった。
もう思いっきり
ゴミじゃんよ、これ。
ついこの間「死ね死ね押井守」の
ファンであることを うっかり
喋ってしまったけど、今すごく
「死ね死ね幾原邦彦」という
長文を書きたい衝動が
ジュクジュクと出てきてる。
あぁ~、たまらねぇぜ。
そんな輪ピンにも、なんとなく
「分かち合うことの大切さ」みたいな
美しい話のようなのが描かれてて、
いくらか良い作品のような気もするし、
ところどころ面白いとも
思ったんだけど...
ん~ やっぱキモいよなぁ、
このおっさんは...
作品には、どうしても
その人の感性が滲み出るんだろうなぁ。
それとも昨今のウケるアニメ事情や
バズりやすさでも狙ったのか?
(だとしたら なおさら下劣だな)
当時、この監督の次回作も
見ようとしたんだけど、
もうあまりのキモさに
速攻でブラウザを閉じて
視聴やめたんだわ。そして
「コイツの作品は もう
見ない方がいいな... 」
と決めた事だけ強烈に覚えてる。
なんだったっけ、あの次回作?
「透明な嵐」だったっけ? まいっか。
そして、そんな二流作品を鑑賞してしまったツケが、
キモいヤツと間接的にでも関わってしまった負債が...
10年の時を経て、たった今、
このオレ様にも影響を及ぼしてる。
もちろん、悪い意味でな。
「てんめぇ... ふざけんじゃねぇぞ コラ!
よくもこんなどうしようもねぇコラ画像なんか
ノリノリで作って貼りやがったな、くっそぉ~...
しかもトップページのすぐ下の
『このサイトの目的』にも貼ってるし!
うわぁぁーーー!剥がしてぇぇぇ! 」
ってさ。どうしよっかぁ...
記事の内容の書き換えや削除は
ポリシーに反するからNGだけど、
「このサイトの目的」ページは
ただサイト設立の動機を
簡潔に説明しただけの所だし、
剥がしてもいっかなぁ...
あんなキモい画像が貼ってあったら、
まともな感性を持った人間が
一目散に逃げ出すっていう
弊害も発生するし...
そうなれば献血が皆様の善意で成り立つ
素晴らしい仕組みであるという事を
わかる機会とか、赤十字について
詳しく知れるチャンスをも、
そのキモい画像1枚で
奪ってしまうしさ。
うん、剥がさなきゃ(使命感)
仮に今の私が何も知らずに
このサイトへ、フラフラやって来たとして
万が一、そのページを最初に開いてしまったら
「ゲッ!ここはキモいヤツが作ったサイトだ」
または「このページの作者、頭悪そうだな」
と、真っ先にブラウザ閉じてサヨナラだよ。
けど、幾原邦彦さんは
何も悪くないし、
まだ若かった当時の僕は、
古典のありがたさや、
クラシックの大切さや、
教養を身につける事の重要さを
あまり理解していなかった。
そして人は自分の見たもの、
聞いたもの、読んだものから
多大な影響を受けるという現実を...
摂取した作品、関わった文化の
クオリティーや品質によって、
そいつ自身の品格や人格、果ては
感性さえも左右されるという
恐ろしい事実を軽視してた!
ただ目の前にあった情報、
そこに転がってた作品や文章を、
なんの吟味やリサーチもなく
私はヒョイッと拾い食いする。
そんな悪食だったのだ。
その軽薄で軽率な場当たり的思考形式こそ、
これら惨禍の元凶なのであって、
たまたま そこに居合わた人、
偶然そこへ在った物に非難を向けるなど、
言語道断(...! 笑止千万(...!!
高速道路はアウトバーン!!!
諸君らも、よく覚えておいて欲しい。
かの偉大な哲学者、ショーペンハウアーも
「読書について」という著書で明かしたが、
・良書を読むための条件は悪書を読まない事
・偉大な人物自身が書いた本や
古くから名作と呼ばれる本を読む
つまり「古典」に触れる事や、
ゴミみたいな作品を避ける事が
非常に重要だとおっしゃった。
ショーペンハウアーの時代は
テレビもネットもなかったけど、
活字印刷が普及して
書籍が主な情報源だった。
だからこそ 読書に関しては
細心の注意を要し 厳選した物を
手に取ることこそ重要だった。
今の時代はあらゆるメディアと
情報伝達手段が存在するが、
この格言はそれらにも応用できる。
というより選択肢が増えた分、
重要度が増しているだろう。
私は小さい頃からジブリ作品が大好きで、
ビデオテープが擦り切れるほどではないが、
何回も見まくった。火垂るの墓で
戦争の悲惨さを思い知ったし、
今後、どんな事があろうとも戦争だけは
絶対に起こしてはならないとわかった。
火垂るの墓には使われてないけど、
久石譲の音楽も素晴らしい。だから
とても良い影響があったと思っている。
なのでアニメ全てを否定は出来ない。
今は見るべきものが何もない
ゴミ地獄だとしても、未来永劫
この先もずっととは限らないので、
断言的に言う事も出来ないが、
この時代だし敢えて言おう。
アニメなんか絶対見るな。
なぜか? バカになる。
おわり。
言い忘れた、あとマンガもな。
(はだしのゲンを除く)