真ん中のウ○コを中心に文字と矢印で描かれたこの図は、
矢印をたどっていくと、やがてクソへと突入し、
ぐるぐる回りながら最初の「C」へと戻ってしまう。

延々と同じ場所を回り続けた挙げ句、元の位置へと帰り、
矢印に沿っていけば再びウン○へたどり着く為、
全てがクソに覆われている。逃げ道はない。

ようするに地獄であり、苦しみであり、無意味である。



イラストや文字を無視して矢印だけで見てみると、
頭の中の思考過程、思索や考察の道筋、
概念の生成と誕生過程を表した図とも解釈できる。

矢印が頂上へと収束していく様は
考えを煮詰めて結論へ向かう それであり、
とぐろを巻きながら回転する様は思考過程を示す。

様々な概念や知識を用いて考えがグルグルと進み、
頭頂部へ至れば何かしらの結論や哲学的帰結に達するのだが、
その結果、新しい「概念」や「知識」が再生成されるなら
再びこの循環を漕ぎ出す力や因子として作用、あるいは
それらを促すエネルギー、ポテンシャルとして働く。

「知識や概念」を材料として煮詰めた末の精製物が
元の材料と同じ「知識や概念」という この空虚さに
思索や考察の無意味さ、思想や哲学の脆弱性が見いだせる。

※「クソまみれ理論」も同じ過程を経て
 生まれた概念である事が、この証左といえよう。



ここより下は蛇足。
深く考えずポエムだと思って読め。

概念や知識に依らず「閃き」や「直感」
「インスピレーション」で理解する事を「悟る」と呼ぶ。

自身に言い聞かせる信念や戒め、心情的な決めつけや信仰、
イデオロギーや社会的な道徳規範、ドグマという外部要因に依らず、
揺るがない「体感」や「実感」としてわかっているならば「覚っている」。

そして、このクソ地獄より脱出する事を「解脱」と呼び、
これら苦しみと無縁の状態を「ニルヴァーナ」と呼ぶ。

この事をよく理解した上で己の意思と営為により
解脱を目指す実践や行動を「修行」と呼ぶ。

修行バンザイ、実践バンザイ。

クソと無縁の平穏の境地...
ニルヴァーナ万歳!

Sādhu×3