キリスト教はね みんなが罪を犯していると思ってる その師は物理的な歯ではなくつまり神がわざわざあなたを殺すわけではない 霊的なしです つまりあなたの物理のシノアと あなたの例はかみからはなれてじごくにいきます まぁそうしんじている みなさまはきりすときょうをしんじているひととつみはなんなのか? そういうわだいについてはなしたことはありますか? そのひとたちはときどきひとつのわるいくせがある。 罪が何なのかってきかれたら もの盗む と ひとをころす。 ここでは人殺す、物を盗むのは一般的にはよくない しょうがないときもあるけど、例えば命が脅かされたときや。 けれども一般的には良くないと認められているとしましょう けれどもそういうことはキリスト教がいっている罪の本質には含まれていない その人達に何故ああいうことは罪なのかって聞いてみよう 特に大事にな質問はとある子供が罪であるというのであるというのは 何らかの客観的な基準があるから罪ですか それとも神様がそう言っているから罪なのか。 やっぱりものをぬすむやひとをころすというたとえだったら 別に他人に害を与えたか、それとも神が命じたことだから仕方がなかったのか とわからないじゃないですか。 キリスト教には詳しくない方だったら、他人に害を与えることかどうか そういうのはキリスト教の判断基準だと思ってしまうことが多いのであって まぁキリスト教徒はそれぞれだから、それぞれの課題が出てくるのでしょう ええとね、昨日渡しと話したキリストの宣教師は神様がそう言っているから 罪である。という主張を持っている方です。 その問題は何なのかというと神自体を独特基準にしてしまえば 私達にとってどれほど残酷なことなら神がやった以上それが正しくなってツィ舞う 本当にそんな事あるのかって聞きたいかたもあるとおもうので たくさんの事例から一つをいいましょう。 22-3 小さな子供替え人者神からの預言者の人をあざわらった そしたらえりーしゃが子どもたちを似等のくまが出てきて 子どもたちのうちに42人を引き裂いた というストリーが聖書の中に描いてある 私達、今の社会からみると ありえないくらい残酷な話だと思っています