どなたの言葉だったかなあ、ネット上でちらっと読んだものなので再発掘できないのですが、

 

悟りが落ちて真理探求の終わりについて記録されている方(男性)のブログで、

 

こんな言葉が書かれてあるのを読んだことがあり、ふとしたときに思い出しています。

 

 

「どうやら私は、自分の人生についてただ観ているだけしかできないようだと気づいた」

 

 

悟りが落ちる以前の自分だったら、この言葉を誰かから、

 

「よい言葉だよ」と紹介されたとしても、

 

どこがよい言葉なのか、まったく分からなかったと思います。

 

だって私は、どちらかというと自分の未来に大望があって、何事も自分の意志を貫いて決断し、

 

夢に向かって邁進し、努力し、そんな自分に一定の自信や自負があるようなタイプでしたから。

 

そんな自我状態からすれば、「観てるだけしかできないってどういうこと?」と、

 

疑問を持つことすら不可能なほど、「なにを云ってるのか分からない」という言葉だと思います。

 

たとえこの言葉が目の前に現れたとしても、気づきもせずに素通りしたでしょう。

 

 

 

ところが、その夢に邁進する道の途上で、私は疲れ切ってしまったのです。

 
脳も心も肉体も、データを保存しすぎて、動きがガキガキと重くなったパソコンと、
 
まったく同じような稼働状態となりました。
 
ギ‥‥‥ギガギギ‥‥‥ガガ‥‥‥という、あの状態ですね。
 
やがて肉体は、自分の意志ややる気といった命令系統からの支持を無視し、
 
完全に「稼働」を拒否するようになっていきました。
 
「肉体が稼働を拒否している」という表現が、とてもしっくり合うように思います。
 
 
 
ふり返ってみると、当時の私はそれほど悪くない人生を歩んでいたんですけどね。
 
まあ、三十過ぎて結婚できないという焦りはありましたが、
 
ずっと昔から夢だった仕事をしていて、けっこうみんなから凄いって云ってもらえてたし、
 
その道でも評価されて、期待もされていたし、順当に努力を続けていけば、
 
それなりに功成り名を遂げられる未来も見えていました。
 
人間関係は、良い人、面白い個性的な人ばかりに恵まれて、愉快で刺激的な日々でした。
 
表面的には、楽観的で打たれ強い、生きる力の強そうな人にすら見えていたと思います。
 
 
 
まあ、過去には性被害やDVや身内の自殺やらと、それなりにきついことはありましたが、
 
そういった事が深く深く自分の人生に影を落としていたのかというと、
 
そうとも断言し難い気もしています。
 
もちろん、探求の途上でその手の「過去の傷」は重要なものとして浮上してはきますが、
 
「根源の苦」とは云い得ないんじゃないか、と考えています。

それらは、「後天的に多数インストールし過ぎて重くなり過ぎたアプリのデータ」
 
みたいなもので、アンインストールすれば順次、動作不良が解消されていくものであったと。
 
 
 
もっと、私という機器には、先天的にインプットされたプログラム上のバグがあった、
 
と、そのように捉えることができるのではないかと感じています。
 
アプリではなく、もっと基幹のプログラムに近いところにあるバグみたいなものですね。
 
もっと「本丸」に近いところにある「苦」。
 
では、それはどういうものだったのかというと、
 
 
自分の力だけで生きることが怖い、という恐怖心
 
 
だったように思っています。
 
「生きること」それ自体に、とても疲れてしまったんです。
 
自分の力で自分の命を養い、自分で自分の問題を解決しつづけ、
 
なにもかも自分で考え、用意し、自分でどうにかして、ずっと生き続けなければならない。
 
その現実に、無意識下でとてつもないプレッシャーを感じ、
 
益体もなくただオロオロとしていた、そんな状態だったように思います。
 
「自分の生命」に対する責任のすべてが自分の肩に乗っている、
 
という現実を前にして、すっかり憔悴しきっていたのです。
 
誰かに自分の人生を手伝って欲しくてたまらない。
 
だけど、「助けて」なんて言葉を発せられない程度に、「自分は強い」という自負があったし、
 
また、自分では気づけないほど、ガチガチに固いプライドの鎧を身にまとっていました。
 
「まさかこの私が負け組に転落するなんて信じられない、そんなこと、あってよい訳がない」
 
「絶対にそのような人生を自分に歩ませることはできない」
 
そんな思いが、ぐるぐるぐるぐると脳内に渦巻いていました。
 
「この私」って、どんだけのもんだよ(笑)と、今なら、苦笑ものですけれどね。
 
 
 
苦に喘いでいたとある夜、真っ暗な部屋の固い床の上にうずくまりながら、
 
私は自分の脳内で、「もう死ぬしかないのか?」「自殺、自殺、自殺」という言葉が、
 
みしみしと脳回路を埋め尽くしてゆくべく蠢くのを感じていました。
 
生来楽天家で、厭世的ではないと思っていた身に、一晩で一極集中の焼夷弾攻撃のように、
 
「希死念慮」と云われるものがザンザンバラバラと降り注いだ夜でした。
 
 
 
そのとき私は、膝を抱え、背を丸めて胎児のような姿でうずくまり、
 
「もう嫌だ。自分の命の養いに一切の責任を持たなくてよかった、幼児の頃に帰りたい!!」
 
と、歯をがちがちと鳴らして涙をぼたぼたと溢しながら、強烈に願っていました。
 
天に腕を突き上げ救済を乞うような、強烈な願いだったのだと思います。
 
 
 
この日、私は真理探求者によくありがちな、「苦が破裂した故の一瞥体験」のような、
 
「神秘的、あるいは恍惚的な体験」をすることはありませんでした。
 
しかし、徹底的に自分の脳の動きを観察する、という意識が、
 
自ずと奥底から出現してくるのを感じました。
 
そして、希死念慮が生じている状態の脳が、どれほど「固い」状態か、ということを、
 
まるで電子の回路がぎちぎちに詰まっているかのような状態になっている、ということを、
 
つぶさに観察している自分に気づいていました。
 
その気づきが、自分に「冷静になる」という隙間を与えてくれたと思います。
 
私は、恍惚的になるのではなく、張り詰めたような冷静さの「観察眼」になったのです。
 
そして、力が抜けるような脱力感と同時に、一種の天啓のような理解が訪れました。
 
 
「ああ、この希死念慮は、私自身の心や精神の問題由来で生じているのじゃない」
 
「これは単に、脳を流れる電子信号と、電子を流す回路の問題から生じているのだ」
 
 
自分の心の問題というよりも、なにか「自動的に発動したプログラム」によって、
 
一気呵成に希死念慮が引き起こされた、とそのように観察していたのです。
 
 
 
 
自分の力だけで生きなければならない、という観念
 
これ、人間という存在の、かなり本丸近くにある、
 
基幹プログラムに埋め込まれたバグである、
 
という云い方もできるのではないか、とも思っています。
 
このバグが発動し、自分という機器を蝕むが故に、動作が重くなり、
 
「もう一歩も動けない!!」という強烈な緊急アラートが内部で発信されることによって、
 
「いい加減、この機器を根本修理しよう、抜本的なバグの回収を行おう」
 
という修理プログラムが起動し、我知らず探求道へ歩みだすことになる。
 
少なくとも、私の体験はそのようなものだった、と云うことができます。
 
 
 
 
この話は、また後の展開を書きたいと思いますが、本日はひとまずここまでにしたいと思います。
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