平安期に栄華を極めた藤原北家の長として有名な、藤原道長という貴族がいます。
藤原道長の以下の和歌はたいへん有名で、知っている方も多いのではないでしょうか。
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば
これは摂関政治の御世にあって三人の娘の立后など前代未聞の栄達を成し遂げた道長が、
「我が世の春」を高らかに歌いあげたものと、一般的には考えられています。
ところがこの歌、「悟り」の視座から眺めてみると、
「悟りの意識状態について記している」と解釈することも可能であることに、ふと気づきました。
具体的に解釈してみます。
【悟りの観点を投影させた解釈】
この世をば 我が世とぞ思ふ
↓
・この世界には、私(真我の意識)しか存在しない、だからこの世界は私のものとも言える
・この世界は「ひとりひと宇宙」という構造を持っていると捉えることもできる
・最初からこの世界には、私(真我の意識)しか存在していなかったと気づいた
・私(真我の意識、源)以外はすべて幻想であると言えるので、他者は存在していない
望月の 欠けたることも なしと思へば
↓
・そもそも最初からなにも欠けたところはなかったのだと気づいた
・私(真我の意識、源の意識)には、まったく欠けたところがなく完全である
・はじめからなにもかもが完璧だったと気づいた
・今そのままの状態が、まるごと満たされた完璧な状態である
・人生には付け足すべきものも、引き算すべきものもない、あるがままで完全である
いかがでしょうか?
「解釈」の部分は、悟りの到来した意識状態の人たちが共通認識として「YES」と肯く、
そのような内容になっているのではないかと思います。
私は自分が「悟り」についての理解を得るまでは、この藤原道長の和歌に、
上記に記したような解釈の可能性がある、ということに全く気づけずにいました。
世間一般に広く浸透しているように、歴史家や学術研究家が語るように、
摂関政治の時代に栄華を極めた藤原道長が、一族の繁栄と爛熟のただ中にいて、
自らの驕り高ぶりを隠すこともせず誇らかに歌いあげた、そんな和歌であると思い込み、
それ以外の解釈の余地があるということに、思い至りすらしませんでした。
ところがですね、自分の意識状態が変化し(進化とはあえて言わないですが)、
立っている現在地が変わると、上記の「悟り地平からの解釈」のように、
異なる景色が見えてくるようになったんですよね。
どうでしょう。
「以前の私の解釈 & 世間一般の解釈」と「悟り地平から見た解釈」を比べると、
180度くらい視点が切り変わっている、と言っても差し支えないのではないでしょうか。
こんなに短い一首の和歌からすらも、これほどに異なる解釈を引き出すことができるのですね。
仏教などの学術論争に意味はないのか?
さて、上記の事例で、ほんの短い言葉の連なりからすらも、
観照する者の意識の状態や、視座の位置によって180度でも異なる解釈が引き出される
ということが見えてくるのではないでしょうか。
この解釈の多層性は、
「言葉」というものの限界であると同時に、豊かさや膨大な可能性でもあると思います。
和歌は「詩」の一種ですが、詩や物語はそもそも、
読み手によっていかようにも解釈が広げられるようになっているものです。
作者の意図を完璧に正確に捉えることは、そもそも不可能である、
という性質を「言葉」というものは供えています。
発話者の側にも、意識の多層性が内在していますから、
何らからの言葉を発話した時点で、元来的に多層性が内包されてしまうというのが、
「言葉」というものの性質です。
そして、仏教などの経典は「詩」や「物語」の形式で編まれています。
それが言葉で編まれている以上、元来的に多層性を含むものなのです。
一遍のお経でも、それを読み、解釈する側の意識の状態が、
変化したり成長進化する度に、「180度でも異なる見方や解釈」が引き出せる、
という性質を、根本に備えているのです。
小説や映画と同じで、鑑賞者が成長する毎に、多様な解釈や見方が生まれるものなのです。
ところが、仏教者や仏教学者の語るところを見まわしてみると、
経文の解釈や翻訳差についての学術的な論争、批評批判が耐えないようです。
翻訳差について言うなら、翻訳者自身の解釈による差もあれば、
翻訳言語(サンスクリット、漢語、日本語などなど)による差もありますし、
その言葉が使われていた歴史的背景の差など、無数の誤差が生じてしまうものです。
ましてや仏教の経典ときたら、始祖の釈迦が亡くなってから、
早いもの(初期の仏典)でおよそ100年後、遅いもの(大乗仏典)で500年後に編纂された、
と言われており、釈迦本人が記したのではなく、
釈迦の説法を聴いた弟子の口伝が記されたものなのです。
大乗仏典にいたっては釈迦の言葉ではなく、釈迦ファンの創作物だと揶揄する批判もあるほどです。
個人的には、100年後と500年後の差異で本物度を競って喧嘩するのって、
滑稽味があって面白いと思ってしまうくらいです。
そういった点も加味すれば、現代人の解釈の誤差たるやいかばかりの大きさになることでしょうか。
この手の解釈差の論争は、仏教以外のさまざまな教説でも絶えず起きているようです。
自らの論説とは異なる論を保持する者を手厳しく批判し、批評してみせる、
といった姿を見かけることがよくあります。
けれど、
「自らの境涯、意識状態によって、ひとつの言葉すらも、解釈が180度でも転換する」
ということを知ろうとするならば、
学術的な論争というものの「ナンセンスさ」というものもまた、見えてくるのではないでしょうか。
ナンセンス、というのは、文字通り「無意味」ということですが、
しかし一方、この世のすべては本質的に「無意味」である、とも言えます。
意味や解釈を投影するのは、人間の頭(自我意識)が勝手にやってるだけとも言えます。
では、なぜその無意味に思われる、論争や批評批判が存在するのでしょうか?
それは、ひとつの見方としては、単純に論争をすることも人間人生の楽しみだから、
ということが言えるのではないと思います。
知的作業の楽しさというものが、そこには存在しているように感じられます。
また、他方、このような見方も、私は持っています。
誰かの論説を批判する意識がある状態ということは、
その対岸にある観念を強固に握りしめている状態、執着している状態と言えます。
ですから、その「対岸の観念から見た解釈」もまた可能なのである、
という理解が生じたときには、自らが握りめていた観念を手放すことができる、
新たにまた、「ひとつの執着」から解き放たれることができる、
と言えるのではないか、と。
そう考えると、学術論争や、解釈の異なりによる批評批判の場というのは、
「握りしめた観念」や「固定されてしまった視点」を手放すための、
「執着の解消道場」みたいな場として機能しているようにも感じます。
「他者の語る観点」を「それもまたあり」と認めることができたとき、
その観点が新しく自分の境涯に格納され、「観点のバリエーション」が増えることになる。
このような他者との摩擦や軋轢の果ての「異なる観点集め」がすべて完了すると、
「完全にすべての観点を網羅できた状態 = 如来や源の意識状態」が見えてくる、
という可能性が示唆されているのはないかなと、そんなことを思います。
私自身は、この手の「解釈に関する批評批判」を通じて、
「観念の手放し」「執着からの解放」が生じることが多いタイプですね。
だから実のところ、学術論争や論説の批判合戦って、面白く感じるし、割と好物です(笑)
ついつい好きこのんで異説を追いかけたりしていますし、論争系の喧嘩話を読むのも楽しいです。
理屈っぽい頭の人は、こういった道のりから、
「解放、手放し」をしていくことも多いんじゃないかなとも感じます。
摩擦って、自己の頑固な観念を解放させるのに、よい研ぎ石になりますから、
論争もまた必要であり、意味もあり、旨味もある、とも言えるのかもしれません。
ちなみに私、ど文系の学校を出て、ど文系のロマン派な仕事にどっぷり浸かっていたのに、
手相の頭脳線が、びっくりするくらい真っ直ぐなんです。
この「真っ直ぐな頭脳線」は、合理的、論理型の思考回路を持った人に現れるものです。
理系的な回路を持った人だと言われています。
でも私、いわゆる理系の学科(数学や科学や)ってめちゃめちゃ苦手だったんですけどね(笑)
高校生のとき、数学で4点だったことがあるくらい(笑)
分からなすぎてギャグ漫画を描いておいたら、漫画にサンカクをもらえて4点でした。
漫画の横にラクガキのツッコミ描いてくれてて、いい先生だったなと思います(笑)
音楽家にも理系的な感性の人って割といますが、
文系好きのロマン派なのに脳の構造が理系的な人って割といるように思います。
そういうタイプの人って、インド哲学や仏教って馴染みやすいのかもしれません。
インド、さすが「0」の概念を生み出した土壌って感じだなあと思います。