いつかの記事で、人生はマイブーム(ネガ・ポジどちらにせよ、なにかに夢中になること)が、

 

やって来ては去っていく(飽きる、興味や関心が消える、退屈になる)の連続だと書きました。

 

 

 

 

私は子供のころは「ラクガキ」に夢中でした。

 

誰にも頼まれてないのに何時間でも無心でできていました。

 

小学校高学年から中学生になると、高校球児と、とあるギャンブルに夢中になりました。

 

せっせと甲子園やギャンブル場に出かけて、文字通り夢中でした。

 

高校生や大学生では、テスト勉強なんかは面倒でまったくやる気が起きないのに、

 

ラクガキをしはじめると、2時間でも5時間でも無心でやっていました。

 

テスト勉強をやりだすとすぐに眠くなりダルくなるのに、

 

ラクガキをしだすと何時間でも無心夢中だったな〜と、つくづく思います。

 

 

 

それから大人になって、憧れで夢だった仕事のプロになることができました。

 

大好きなことだから苦しくても頑張れると思っていましたが、

 

テスト勉強をやってた頃とまったく同じムーブになっていました。

 

やりだすとすぐに疲れ、眠くなり、ぜんぜん集中力がもたない。

 

30分ももたない。

 

大好きなことで、夢のはずなのに、おかしいなあ、なぜなんだと思っていました。

 

しかも、それは仕事なので、やればお金を貰えるし、社会的にも認められるし名声も得られるし、

 

「生産性」や「やり甲斐」がバリバリにあるっていうのに?

 

なんでこんなに重苦しく、体が油差されてない機械のように鈍重な動きになるんだろう?

 

 

 

そんな「好きなことのはずなのにぜんぜんやる気や集中力がでない」を体験している頃、

 

私は中学生時代を思い出していました。

 

高校球児にキャーキャー云い、ギャンブルにはまりまくっていた頃のこと。

 

将来の糧になるでもなく、お金が入ってくる訳でもないのに(むしろ損失)、

 

非常にナチュラルに、24時間そのことばっかり考えて興奮できてたなあ、、、と。

 

 

 

ラクガキだって、それ描いたからって美術の成績がつく訳でもなく、

 

誰かに見せる訳でもなく、描いたらすぐにゴミ箱に捨てていて、まったく生産性ないのに、

 

「うへへへ」って感じでめちゃめちゃ自分一人だけで楽しんでたなあ。

 

3時間でも5時間でも、マジで夢中無心でラクガキしまくってたんだよなあ。

 

お金が入ってくるわけでもないのに。

 

一種の天才的な無心状態とも云えるものだったんだろうなあと、ふりかえって思いました。

 

 

 

そして、30代でぼんやりした不全感の中にいた私は、ぼんやり思っていました。

 

「そうだ、私に足りないのは、あの中学生の頃みたいな無我夢中の楽しさだなあ」

 

「またあの時みたいな ”絶賛マイブーム中!!” みたいな時間を味わいたいよ〜」

 

と、半分は無意識だったんですが、半分は強烈に願っている、みたいな感じでした。

 

 

 

その後、30代半ば頃から「スピリチュアル」への関心がやってきました。

 

スピリチュアルに関心が向いている最中は「人生について学びたい」と思っているので、

 

気づいていなかったのですが、ふりかえってみると、

 

自分の人生に再び「無我夢中」が到来し、フィーバーが起きていた時間でした。

 

だって私は、各種の超常現象をあれやこれやと体験したタイプだったので、

 

それはそれは面白かったんですよ(笑)

 

物質が目の前で形状変化したり、

 

いちばん大きいのは銀座の町が目の前でガラッと変わってしまったり(笑)

 

チャネリングもできるわ、死者と通信できるわ、

 

前世は分かるわ、宇宙人と出会って宇宙船乗れるわ(笑笑笑)

 

宇宙人からは自分の最高の未来についても教えてもらいましたし(笑笑笑)

 

夢を見れば、バンバン予知夢になり、世間の動向も先見えできたりしていましたしね。

 

まあ、こんなエンターテインメントな体験しまくって楽しくないわけがない(笑)

 

うお〜〜〜すげ〜〜〜なんじゃこりゃ〜〜〜!! の連続でした。

 

 

 

今思えば「この世界の幻想性」を看破するための、

 

「参考書」みたいなものとして起きていたんだななんて冷静に分析もできますが。

 

だって、常識人間の時の自分は、高名な科学者の語る「地球は丸い」などの話を、

 

完全に信じ込んでいる訳ですから「世界は幻想だ」なんてなかなか理解できません。

 

その固い常識を破壊するには、インパクトのある超常現象もまた必要な体験だったんでしょう。

 

しかし、とまれ、渦中は楽しいのなんので、無我夢中の興奮状態でした。

 

 

 

で、やがて、「スピリチュアル探求」は「悟り探求」へと移行してゆきました。

 

この間も、ずーっと何年も「夢日記」や「自分観察記録」は続けています。

 

これがまた、朝起きたらすぐにサッとPCに飛びついて、いくらでも文字が書けちゃう。

 

もともと、私は売文稼業もやっていたのですが、

 

そっちは「大好きな、自分に自信や誇りを持てる楽しい仕事」のはずなのに、

 

一向に指が動かなかったんですよねえ。やればお金すら貰えるのに。。。

 

 

 

ところが「夢日記」や「自分観察記録」は、誰にも頼まれてないし、

 

誰にも見せずこっそりやってるから、称賛も得られず誇りも持てずお金にもならないのに、

 

朝起きた瞬間にすぐにやれてしまう(笑)

 

あ〜これ、幼児期〜大学生までやりまくっていた「無心夢中のラクガキ」と同じだなあと。

 

100%完全に、無心夢中で楽しめていて、いっさい疲れない状態。

 

ただし、まったくお金にならず、名誉や名声も得られず、見せる人もないし、生産性ゼロ!(笑)

 

 

 

 

で、私がこの3年ほど「スピリチュアル探求」から「悟り探求」に移行しながら、

 

やっていた人生実験というものがありまして、

 

それは、こういった「完全に生産性がないが100%無心夢中でやっていること」を、

 

ずーっとやっていても、「生きる」が出来るのかどうか? 「生かされる」のか?

 

ということでした。

 

この人生チャレンジが、自分にとってはいちばん怖いものでしたね〜。

 

 

ですが、実際にやってみたんです。

 

すべての仕事をやめて、いっさい働かず、かれこれ3年になるかな。

 

その間、「夢日記」と「自己観察記録」とこういう「ブログ」を無心夢中でやってるだけ。

 

スピリチュアルや悟りのティーチャーとしてお金を稼ぐようなことも一切やってないわけです。

 

 

 

正直なところ、スピ本や生き方本、悟り本を書けと言われたら、

 

2〜3日もあれば、読み応えのある本を一冊書き上げられる自信、ありますね。

 

職業的にも、書けるときは1日で本半分程度の原稿を上げられていましたし。

 

もともと売文業なんで出版社とはいくらでもパイプがあるし、

 

企画を出せば余裕で通るだろうなという算段もつきます。

 

で、昨今の自己啓発ブームを考えれば、それなりに売れるだろうと思います。

 

なにせスピリチュアル的な超常現象分野、宇宙人分野から、悟りまで網羅しましたからね。

 

どん底から這い上がって、幸福になるまでの方法論、ロジック、網羅してますからね。

 
「書けること」ならいくらでもある。いくらでも素材も知識も方法論も実体験もあります。
 
でも、そんなことはやらない。できるけど、やらない。
 
なぜだか、ぜんぜん、やる気が起きないわけです(笑)
 
 
 
それで、こんな世界の片隅で、さほどの人数も読まないブログをやっている訳です(笑)
 
以前やっていたブログでは、滅多に声がかからないらしいクローズドのアフェリ会社から、
 
スカウトの声がかかりましたが、それも断りました。
 
そんなわけで、自分のこの文章、一銭も稼いでないわけです。
 
誰かをカウンセリングしたり、チャネリングや霊視をしたりして、
 
お金を貰うといった行動もしてきませんでした。
 
単純に、なんとなくそっちに意識が向かなかったので。
 
 
 
で、私がやってみたことというと、
 
誰にも見せない「夢日記」と「自己観察記録」とお金にならない「ブログ」という、
 
毎日毎日「無心夢中でやれるけれどもいっさい生産性がないこと」をやっていても、
 
「生かされる」という状態が発生するものかどうかを、人生実験していました。
 
きっと私の真我が「そういう人生実験」がしたかったからなんでしょう。
 
そういった生き方をするのが、
 
「煩悩 = 真我が生きている間に体験させたい項目」だったのでしょう。
 
だから「生き方の本を出版する」も「アフェリで稼ぐ」も「カウンセリングで稼ぐ」も、
 
なんとなーく私の意識はやる気にならなかったんでしょう。
 
そういったことをやっている方や、やりたいという気持ちが起こる方は、
 
逆にやることが、「真我が体験させたい項目である」ということなのでしょうね。
 
どちらもやればよい、というよりも、自動的に起きていくのでやらざるを得ないですね(笑)
 
 
 
 
で、結果、どうなったかというと、
 
ちゃんと、まったく働いてないにも関わらず、生きていけるお金が入ってきたんです。
 
具体的には、2020年と2021年はコロナの給付金が入ってきました。
 
これは正当な理由で入ってきたものです。
 
なにせ海外に派遣される事業予定だったのが、2年連続コロナのために駄目になったので。
 
コロナ給付金対象ドンピシャ(笑)
 
そしてコロナの給付金が切れる2022年になり、そろそろヤバいかなとなってきた頃には、
 
家族が突然死し、遺産の一部を受け取る、という事態が発生しました。
 
どちらも、完全に予想外かつ、完全に「他力」によるものですね。
 
想像もしなかった方法によって「生きられるだけの豊かさ」がもたらされた訳です。

 

 

 

とにかく、この3年間で「まったく生産性のない無心夢中をやっていても生かされるか?」

 

という人生実験についての結果は実証できたなと感じています。

 

 

 

これ、実はというかなんというか、バシャールの「ワクワクの法則」と同じなんですよねえ。

 

私はスピリチュアル探求の途中で、バシャールに傾倒したことがありました。

 

(なにせ自分自身も宇宙人と接触してましたからね・笑)

 

そして、「悟り探求」に移行すると、バシャールもまた魔境落ちしている状態だったのか、

 

と思うようになり、否定的に捉えるようにもなっていきました。

 

しかし、バシャールの語っているワクワク理論って、上記転載のブログにも書きましたが、

 

実は「諸行無常 = マイブーム到来 → 飽きるの連続」と同じ事なんですよね。

 

バシャールはこの「パッケージ」の中に人生に必要なすべてが入っている、と語っています。

 

この点は、個人的な体験からも「その通りだな」と云えると思います。

 

バシャールの語ることは、多くの点で「悟り」と同じプログラム構造を語っています。

 

「平行世界」や「自由選択」を掲げているところは、バシャールの独自性ですけれどね。

 

 

 

でも、探求の道のりって、元来、各人それぞれに極めて個性的なものなので、

 

独自性を生じずにはおられないものなんですよね。

 

その各人の道のりの独自性が「解釈の違い」「観点の違い」となって、

 

「その考えはおかしい、あやしい、転落している」などという批判や諍いを生むのですが、

 

そもそも「観点」は人の数だけあるものなので、相違が生じるのは当然なのですよね。

 

相違があるからといって、自分の観点と異なる観点を「間違っている」と指摘することは、

 

可能ではあるものの、「真」ではない、ということが云えると思います。

 

人の数だけ正解がある、ってやつですね。

 

真理は玉虫色で、いかようの姿をも見せることができるものですから。

 

あらゆる反論、批判、矛盾を包み込んでしまうのが「真理」です。

 

 

 

 

さあて、今回も無心夢中で書きまくって長くなったなあ(笑)

 

結局、なにが云いたいかというと、今の私は明らかに「悟りについて書く」ということに、

 

無心夢中で、朝起きて速攻でやりだすくらいクリエイティビティを発揮しています。

 

ただし、一銭の稼ぎにもならない生産性のない行為(笑)

 

 

 

で、今現在、来年以降にどうやって稼ぐか、どうやって生きるかの算段がまったく無いんですよね。

 

ありがたいことに、古巣から仕事の依頼はひっきりなしに来ているのですが、

 

やる気が起きないので、ぜーんぶ断っています(笑)

 

そして、まるでニートみたいに、夢日記やブログを書くだけの生き方をしてる(笑)

 

このまま「無心夢中」しかやらずに生きていけるか、引き続き実験したいです。

 

 

 

「悟り」の次には、どんなマイブームが来るのかなあ。

 

予想したところで、どうせ分からないから、

 

このまま「朝起きたら自動的に体が動いてしまうこと」をやり続けるしかないですね。

 

しっかしほんと、まったく疲れないの、凄いよなあ。。。

 

 

 

以前は「大好きで、子供の頃からの夢だった」と思う仕事をやってましたが、

 

めちゃめちゃ疲れるし、集中力が出ずに30分でやる気がなくなって眠くなってました(笑)

 

それと比較して、「無心夢中の力」ってマジで凄いなと思います。

 

 

 

本来はみんな、こういう生き方をできるんでしょうね。

 

ただ「無職ニート」になりきれるかどうかが怖くてたまらないだけで。

 

名誉や名声や承認や社会的な立場を得られないのが怖いだけで。

 

 

 

私の人生実験の結果は、

 

「ぜんぜんイケるし、生かされるし、めっちゃ楽だし面白いし、疲れ知らずだわ〜」です。

 

引き続き、このままの状態を生きて、仕事断りまくるぞ〜!!(笑)

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