今から3年ほど前かな、私は真理を求めて探究の道を歩いており、

 

覚者と言われる、ラマナ・マハルシの本を読んでいました。

 

ラマナ・マハルシの教えは「真我実現」が軸かと思いますが、

 

当時は、数行読んでは眠くなるという状態で、内容も、分かるような分からないような、

 

まるでコンニャクをくにゃくにゃ噛んでいるかのようでした。

 

そして、2020年の4月頃に「真我実現=観照意識の自覚」が起こり、

 

その後に「悟り」が落ちる感覚が起きて今に至りますが、

 

その現在になって、振り返って再びラマナ・マハルシの言葉を読んでいると、

 

何を語っているのか、非常によく分かる、理解できる、という状態になっている、

 

そんな自分を発見しました。

 

 

 

ところで、書籍の冒頭にはラマナ・マハルシの写真がありますが、

 

ふんどし一丁の裸で、だら〜んって感じの格好でベッドに座ってるマハルシの姿・・・・・・

 

いや〜、いかにも「聖者」「覚者」「智慧者」って感じですが、

 

私の正直な感想は、「こんな感じにはなりたくないわ〜」です(笑)

 

ラマナ・マハルシは生涯アルナーチャラ山の麓に在し離れることがなかったそうですが、

 

一生ひとつの場所に居続けて、自分を訪れてきた人に対して、毎日毎日、

 

「私とは誰か?」ばーっかり、死ぬまで繰り返し言い続ける人生・・・・・・

 

嫌、そんなん、嫌(笑)

 

そんな人生、ぜんぜん魅力的に感じないし、憧れないし、やりたくない(笑)

 

というのが、私のまったく正直な感想です。

 

覚者として他者に「教え」を説くような人生を生きるくらいなら、

 

お笑い芸人の中川家に生まれて、頭にオカンカツラを被って、

 

「いや〜、あんたこれ、ほんま、もう、あんた、なんでやのぉ、もお〜!!」

 

とかやるほうが、100倍、好み、100倍、かっこよく見えてしまう。

 

 

 

これは釈迦も同じで、悟りとは「悟っていないものなど存在しない」

 

と気づくことであるのに、「未だ悟ってない人が見えていて、悟りを説く」という生き方は、

 

「悟り後」の生き方として、あまりに変態的であることの最大値を示しているなあと感じます。

 

まあ、その「あまりに変態的な人」が存在してくれていないと、

 

自分は「そこ」にたどり着けなかったわけですけれどね。

 

その存在を存在せしめているのが真我なので、「マイプロデュース・釈迦」な訳ですが。

 

 

 

でも、自分の好みとしては、

 

「未だ悟っていない人が見えていて悟りを説く、すでに悟っている人」よりも、

 

「未だ笑っていない人が見えていて笑いを創る、すでに悟っている人」のほうが、

 

かっこよく見えるんですよ。

 

これは、どこまでいっても個人的な好みに過ぎないですけれど。

 

「能ある鷹は爪を隠す」じゃないけど、「悟り」、隠したほうがカッコよくないかい?(笑)

 

まあ、「超超変態を極めている」という意味では、釈迦的生き方もカッコイイですが(笑)

 

「ちょっとその生き方、てんてこ舞いすぎません?」と、ツッコミたくはなりますね。

 

(もはや釈迦の変態度がヤバすぎて可愛く見えてくる・・・・・・)

 

 

 

そういう意味で、ブッダやキリストなどの聖者を漫画や芸でコメディに昇華できる、

 

日本的な「お笑い文化の精神性」って、すごくいいなと思います。

 

 

 

実際問題、「悟り」が落ちるまでの道のりの中で、

 

「悟り」に近づくために最も助けになってくれたのは、私の場合、お笑い畑の人々でした。

 

 

 

私の場合、もしも、いかにも「聖者然」「覚者然」とした人々ばかり見て、

 

「私とは何か?」「愛」「今、ここ」「瞑想しろ」など語る人ばかり見ていたら、

 

それだけが「悟りの核心」なのかと見誤っていたと思います。

 

それだと、お笑い芸などの「まったく悟り的に見えないこの世界の側面」を、

 

とりこぼした状態が長らく続いてしまうのだと思います。

 

深刻さや、真面目さや、愛や慈悲や慈愛に溢れたもの、あるいは静寂や静謐さだけが、

 

「悟り」に近づく道筋なのかと、視野が狭まってしまっていたと思います。

 

 

 

ところが、先前記したとおり、「悟り」の本質は、

 

「お笑い、コント、漫才に過ぎない」という側面も色濃く孕んでいます。

 

だからなのでしょうか?

 

「悟り」に至る道筋では、お笑い畑の人が語っている言葉の中にこそ、

 

「ほんとうのこと」が含まれていると感じることが多々ありました。

 

例えばそれは、こんな言葉たちです。

 

 

 

生きてるだけでまるもうけ

 

by 明石家さんま

 

 

これでいいのだ

 

by 赤塚不二夫

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