遂に連載コラムも9回目となり、そもそも何故僕は物書きになったのか?
ひいては何故概念を貪っているのか??
あのー、概念って非常に美味しいんですよ!サクサクしてて
近況報告も兼ねて、物事ってのは総じてぼんやりしているのに、
そのぼんやりを人は「あーだ、こーだ」言って、概念をサクサクにしている昨今の社会について考察していこう!
さて、周知の通り僕のキャリアは映像作家からスタートしている。
映像をやり出したキッカケとしてはモーセの十戒に書いてありました。
あの石板。重くて硬いやつ。
それまでの人生はひたすら死にたかったです。これマジで。
モーセありがとう。
映像作家として順調にお金が稼げるようになり、それでご飯が食べれるようになり、順風満帆にいってたかと思いきや、ある日ふと疑問が湧いたのです。
「僕は、何を作りたいんだろう?」
感覚的に面白いモノってのは、百も承知で、では何故それを面白いと思っているんだろう?
面白いと思うことにも全て理由があって、それには抗えないんじゃないか?
そしてなんで僕は生きているんだろう。
またここに立ち返るんですね。
何かを感じるってどういうこと?感じてることって本当に感じてるのか?
自分の意識はどっから来てんの?
作品どうのこうのの前に、人間の意識がどうなってるのか気になりすぎて、
映像どころではなくなってしまいました。
だから僕は修行の旅に出たのです。
意識が生まれる前の感覚にアクセスする為には、ひたすら肉体に依存すること。
これを己で徹底的に検証しました。
まず、日常生活を半目で過ごしてましたね。
半目で過ごすと、視界がぼんやりするので、己の感覚に頼るしかないのです。
そして感覚の世界には解釈が存在できず、肉体的な危険しかありません。
そして、何かを認識した瞬間に何かが生じてることに気づいたのです。
この「何か」がポイントなのです!
人は何かを感じた時に、それを何かと言ってるだけなんですよ!
これは感覚的な話なんで文章では伝わりづらいですが、概念が生まれる瞬間を見ちゃったんですよね。そして概念は膨張していました。
※ごめんなさい、途中でめんどくさくなったので割愛します。
そして僕が次に実践していたのは一般相対性理論的に、遅い空間を避けるということ。
感覚にアクセスすることで、この世はスピードで成り立っていることに気づきました。
楽しいと、楽しくないでは空間の出来上がり方が違う。
楽しい方が、体感が早くて時間が長い。
楽しくないは体感が遅くて、時間が短い。
時間を感覚で割ると、早さが導き出せることに気づきました。その早さが正しさか面白さで別れているということ。
自分が感じていることってのは、早さに依存するんだと思います。
他にも色々、自分を使って人体実験をしていたのですが、最近は何をしているかというと
火を見てる!
もう一度言います。。火を見てる!
火を見てると、自分の気持ちが変わるんですが、これは自分の気持ちを見ているのと相違がありません。内面が環境に与えてるものは計り知れず、この情報社会に留まっていると、自分が何を感じているのかとても気づきにくいです。
そこで僕は限りなく色んなモノを減らしていっています。
ご飯は1日1食にし、消費をしない。持ち物は片っ端から売っていき、携帯の中の画像などは随時全消去。己の中の概念的な要素をことごとく排除する。結婚であったり、成功とか社会。そういった概念的なことから距離を置く。
要は感覚で感知できるもの以外を極力減らしていくと、本当に大事なものがわかるのです。
頭で大切って思っているものは、実はそんなに大切ではないのです。
以上が最近の天使弾道ミサイルです!とりあえず人とも会わないで火を見てるだけの人です。
次回コラム「概念も膨張してます」お楽しみに