さて、コラムを書き出して一年くらいだろうか。今年の総決算として、今回はこの宇宙について書こう。
まず第一前提として、言葉や思考というのは感じられないのだ。あなたは「結婚」を感じられますか?「幸せ」を感じられますか?ほとんどの人間がこれら言葉に縛られており、感覚というものを失くしているように感じられる。
感覚という言葉ももはやチープで、思考や論理に対等するものが感覚で、言葉は全て二極を孕んでいる。二極というのは感じられるものではないのだ。
この二極が上手くシステムに組み込まれてるのが、資本主義だ。
受注と発注、生産と消費、労働者と資本家。
ただこのシステムもこうならざるを得ないのだ。要は人間が二極的であり、その根本の宇宙は無限だから。
無限ってどういうことなのかというと、人は無限を見た際に無限という一つのものだと認識してしまう。だが体感は無限なのだ。故に認識というのが、無限を捉えきれないものにしてる。体感や感覚を殺しすぎて、僕らは無限(愛)を感じられなくなったのだ。✳️二極=無限
人のほとんどが、体感か感情か思考か認識のどれが働いているのか判然としなくなっている。その役割を担っているのが資本主義で、過剰なお膳立てやサービスをすることで、人々が自分で考えることや感じることを放棄してしまったように思える。
おっきく世の中の二項対立は、精神主義と商業主義で、商業に対するアンチテーゼとして、精神主義が対等しているが、実はそれ自体も資本主義に組み込まれてる。
「世の中お金じゃない」などの精神的なノウハウ自体にも金がかかるし、実はそれが本来、1番お金が吸い取り安かったりする。何故ならノウハウというのは形であるので、精神的なノウハウというのは、中身を見せずに精神を売り続けることができるのだ。
じゃあ一体精神とはなんなのだ。
まずそれは言語ではないのだ。定義した瞬間に形を帯びるので、理解はできないのだ。
例えば僕らは感情を四捨五入して、言葉にしている。例えば「寒い」という状態を言い表す単語が何個あるだろう?僕らの気持ちに個数があるのか?
つまり精神というのは無限なのだ。上記で無限を認識した際に一つと数えられると説明した。それが言葉だ。言葉が精神の元となっているので、精神とも言えよう。つまり二重性を帯びているんだ。
この二重性を理解することが生きる上で最も必要なのだ。
精神と物質的な面が重なりあってるのが人間で、どっちかではないのだ。
よくいう「お金か?やりがいか?」。この議題もひどく二極的で、どちらに転んでも陰と陽で、お金も上がり下がりするし、やりがいというものも上がり下がりする。
つまりどちらを選んでも安定などしないし、右往左往して生きるしかないのだ。
二重性を理解するというのは、お金にもやりがいにも囚われないで生きるということだ。逆をいうと、どっちもできるという状態で、これが無限(愛)という感覚なのだ。
例えば鳥は、飛ばなければいけない状況があって進化した。ここにやりがいなんてものはない。つまり状況というのは物質で、物質的なことも利用できるというのが人間の特性なのだ。それが言語であり、お金でもある。
では具体的にどうするのかって、ここでそれを提示したらそれは他人の意見であり物質なので、自分で考えるってことなのです。これが本当に大事。
誰かが答えをくれることを待っていてはダメなんです。
自分以外から表出されているものは全て物質です。言葉や本、映画音楽全て。人の精神が形になったものだから、本当の精神というのは自分にしか感じられないのです。そこに全てあります。そこから僕はこのコラムを書いているし、色々なアイデアや、映像を生み出しています。
つまり、人から表出されたものは二極なのですが、自分の内なる精神は無限なので、他人に依存せず、消費を一切せずに物を作れるということなんですね。
このことから、人間の可能性は無限大だと言えます。昨今、科学の領域では真空状態から物質を取り出すことに成功しています。つまり、真空=無であり、無限であり、それが人が愛と呼んでいるものです。
愛=mc2