今回のテーマはズバリ悲しみ。シンプル!シンプルっていいね。皆んなズバリ悲しむし、わたくし天使弾道ミサイルも例外ではない。普遍的であ
り、それが実際に最も尊くも残酷であり、タイミングによっては相手にドロップキックかましたくなる。悲しみってのは夏休みの宿題なんだ。いつまでもズルズ
ル引きずると夏休みが終わっちゃう。一日でさっさと終わらして、この人生という夏休みを謳歌しようじゃないか。では参る。
さて、悲しみ。さては悲しみ、何で悲しくなるんだ?というトコですな。他者との相違?自己否定?他者との相違がもたらす自己否定?まあそんなとこだろう。
僕らは違いによって何かに喜んだり悲しんだりする生き物なので、悲しみがないと僕らは「全部」ということになってしまう。そうなんだよ。。つまり僕らは
「全部」なんだが、「全部」から独立することで悲しみを錯覚してしまうんだ。外界と摩擦が起きるのは、全部から独立することであり、これをポップな言葉で
言うと個性という。これは幸福の概念と非常によく似ているので、ゆっくりと紐解いていこう。
あなたは幸福ですか?
これを聞かれた人間は原理的に不幸になる。探さなきゃいけないから。定義づけして、それ事態を認識しなければいけない。言葉というのはそもそもが自分の実
感を外部に分離する作業なのだ。だから言葉には気をつける必要がある。これは自分の中の言葉もそうだし、他者に向けているなら尚更。幸福を探す作業という
のは、眼鏡かけたオッサンが眼鏡を探すくらいヘンテコなんだ。探すから原理的に無くなっている状態が必要。愛を問うた瞬間に愛を失うのと同様に、この世の
中自体がパラドックス構造になっている。つまりフラクタルなんだ。僕らフラクタルを見て、分離した瞬間と統合された瞬間を見て遊んでいるだけ。この世界か
ら完全に独立して個として生きることなんて不可能なんだ。
元々、幸福自体は自分の中にあり、(幸福として認識していない)幸福と定義づけて自分から分離する。その定義づけた行為を実感することで、「これは幸福な
んだ〜」と思考して実感する。常にこのサイクルであり、これは逆側から起こりうることもある。つまり言葉自体を実感することもあるということ。そんぐらい
無茶苦茶な世界なんで、自分の意志で行動してると考えるのはすぐに辞めた方がいい。これは感じた感情すらもアンコントロールなもので、全てが同時に起こっ
ちゃってんだ。何か一つが原因ではないので、原因探しは悲しみと怒りしか生まない。全て無意味に受け入れるしかないんだ。
これをキリスト教では三位一体なんていったりする。三つで一つなんですよと。つまりあなたは環境も含めあなたなので、あなただけが原因で何かが起こる訳で
はない。その三つとは、自分、空間、行為なんですよ。空間がないと自分は存在できないし、空間に対して存在しないと、空間と自分が成り立たない。空間が単
体で成り立つには自分がそれを認識しないといけない。では空間に対して自分が存在するという行為を一つの自分と認識するのが、このフラクタルを見抜く方法
で、これを三位一体って言ったり、レゲエではトリニティだし、フリーメーソンはトライアド。
この三つの関係値に0が絡んでくるんだが、それを人は愛と呼ぶ。だから愛は0秒。この辺りも書き出すと長くなるので、気が向いた時に。つまりあなたは悪くない。以上。