この世の中、物で溢れてる。
そんなことを思ったのは中学生の頃だったかな。
シンプルに生きていたい。そう願ったのは年を取ってからではない。
何故、僕たちは物を所有する?物質では満たされない自分の価値。
はなから分かってんのに何故毎月の支払いに追われる?
僕はバカバカしいと思った。このレースから降りなければ、決して幸せになることなんて出来ない。
欲というのはキリがない。アクセルだけの自動車だ。
僕は朝4時半おきの一日一食で、消費はしない。
勿論これは単なる方法論なので、主義主張などという陳腐なものではない。
定型化されたものも物質とみなすので、僕は概念的なことにも興味がない。
それが出世であり、結婚であり、成功と呼ばれるもの。
成功ってなんですか?
金持ちになれば成功?有名になれば成功?
つまり形というものは僕たちを束縛するものなんだ。一つの方向へ収束するので、僕たちはカオスを受け入れられない。赤子を見るように、成人を見れない。それは成人だから。
概念がロジックを産むので、感情を阻害する。そして幸せがどっから来るのかって間違いなく感情だよね。
この全てが蔑ろにされてるのが実社会。
そもそも形として表出できないものが幸福なんだから、目に見えてるものは全部ウソっぽいんだよね。見えないものを感じる為に物を捨てる必要がある。人間関係も整える必要がある。
そこから初めて形の良さが分かる。
順序を誤らない。幸福になるのが1番先なのだ。それは時間がかからないもの。
その上で人を尊敬する。「いただきます」や「ありがとう」。様式を整えて美しくある。
それが本来の形。