親切カラス

名もなき勇者人知れずされける



撮影日時: 2013-02-07 14:53場所: 代々木公園 バラの園付近
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=QMhZdV9tNsQ



代々木公園で写真を撮ってたら 1羽近くに来てくれたよ。 まるで魔女宅のカラスだ! one day I was take a picture in yoyogi park. some bird come on for me. just like kiki's delivery service's crow.

「親切なカラス」YouTubeの説明欄 https://www.youtube.com/watch?v=QMhZdV9tNsQ

あれから8年かぁ... これは相棒のシャーリーンに乗って渋谷へ行き、 その帰り道に代々木公園で休んでいた時のことだ。 ブリヂストン スーパーライト S型 NSL73S 2021年10月21日の現在、動画の再生数は120万。 コメント欄も200以上びっしり埋まっている。 カラスと全く関係のない わずかに映った私の愛車を “この自転車はブリヂストンのスーパーライトですね” と、見抜く人が現れるほど(にぎ)わっている。 ブリヂストンのスーパーライト... 彼女の乗り心地は最高さ。 Super Light の名前の通り、めっちゃ軽い。 漕ぎ出しがなめらかで持ち運びも楽だ! やっぱ女と自転車は軽いのに限るぜ。

冗談はさておき、 何気なく撮影してアップロードしただけなのだが、 この動画が これほどウケるとは思っていなかった。 2013年あたりといえば、しばらく 「パワーショベルのハサミで壁をザクザク」 が、一番よく視聴されていた記憶がある。 少し経つと その続編となる 「【続】パワーショベルでビル解体」 が、10万再生も超えて一本目の再生数を追い抜いた (一本目は4万再生なので倍以上も引き離している) このパワーショベルの動画にしても、 なぜ1本目ではなく続編の2本目がこんなに見られているんだ? と、少し疑問だ。 たぶん2015年あたりだと思うのだが、 これらパワーショベルとかタワークレーンとか、 他にも色々と撮影した工事現場の動画を全て足しても及ばないほどに、 渋谷の帰りにカラスを撮っただけのあれが ぶっちぎり1位となったのだ。 世の中なにが起こるかわからない。 ほとんど予想も出来ない。 2021年のいま現在は、 このカラスがぶっちぎり1位だとしても、 それが今後もずっと続くかどうかもわからない。 正直 これが100万再生を超えた時だって 「えっ こんなのが100万いくの?」 と、ちょっと驚いたものだ。

「なにが起こるかわからない」と言っても、 様々な要素を分析して予測する事はできる。 たとえばこのカラス動画なんかは 「親切な」という単語が引き金だったと思う。 「親切なカラスって どんなカラスだ?」 ってな感じで 興味を引いたのだろう。 だが興味を引きたくて単語を選んだわけじゃない。 後ろの黒人カメラマンが写真をとっていても逃げずにじっとしてるし、 僕の隣へ来たカラスもスマホを向けようと動かずに止まってくれていた。 なので、魔女宅に登場した絵描きのカラス達のことを思い出したのだ。 ウルスラとカラス その時に「親切なカラスだなぁ」と思ったので、 自然とこのタイトルが付いた次第である (当時の僕がそう思ったからそうなっただけで、  実際に親切心があったかどうかは 今もわからん) パワーショベルの動画だと、 【続】という単語が再生数の上がった原因だと思う。 ゴシップサイトブロッカーというアドオンで、 頭の悪そうなサイトやドメインは片っ端からブロックしているので、 【悲報】だの【朗報】といった まとめサイト系のタイトルを 個人的には全く見かけなくなってしまったが、 『ウェブはバカと暇人のもの』という書籍もあるくらいだし、 おそらくこの【 】が視聴数を稼いだ要因ではないだろうか。 Yahoo!ニュースやまとめサイトのネーミングを観察すると、 びっくりするくらい似通った法則が見受けられる。 あまりに露骨なので、 「こんなタイトルに飛びつくなんて... 恥ずかしくはならないのか?」 と思うほどだ。 とりあえず【 】で囲っておけば、 そっち系の住民(頭の悪い大多数の暇人)が、 脊髄反射というか 無意識にクリックしたい衝動によって、 動画を開いてしまう。...という事なのでは? 1本目の動画の続きなので、 わかりやすく【続】を使っただけと思うが、 10年ちかく昔の事で よく思い出せない。 ひょっとしたらアクセス数の欲しさゆえ、 僕も無意識的に下衆(げす)で狡猾な計算をし、 【続】という単語が頭へ浮かんだ可能性だってある。

この文を書いていて ふと感じたのだが、 世の中は罠だらけだなぁ と思う。 社会の陰謀やら、狡猾な人間の仕組んだ策略ではなく、 一番の罠は自分自身の内面に潜んでいるのだなぁ と感じる。 ただいま書いてるこの分析なんて、 アップし終わって しばらく観察した今だからそれっぽく言えるだけだ。 当時の自分には全く予想出来なかった事柄であるにもかかわらず、 こうやって文章にして偉そうなことを書いてると、だんだん 「自分は先見(せんけん)(めい)がある 鋭い洞察力を備えた優秀な人間」 ...と錯覚しそうになる。 後付バイアスか、後知恵バイアスだったかは忘れたが、 認知バイアスのどれかに そういう心理があったはずだ。 事が終わったあとで「ほら やっぱり!」とか 「そら 言ったとおりだろう?」みたいに、 その結果を先に知っていたかのごとく 本人が錯覚する あれ。 世に多くある”予言”は決まって 「予言が当たってから有名」になる。 言なんだから に有名になれよ! と言いたくなるが、つまりはそういう事。 先ほど まとめサイトやYahoo!ニュースを例に取り、 “こんなタイトルに飛びつくなんて 恥ずかしくはならないのか?” と申し上げてしまったが、これと同じ趣旨を偉そうに主張する人々や、 やれ「最近のネットはけしからん!」的な内容を垂れ流す意識高い系、 なんちゃってクリエイターとか文化人気取(きど)りなど腐るほど居るし ネットにそういうタイトルや記事もゴマンと(あふ)れている。 僕も この文章をWebへアップした時点で意識高い系な人や、 なんちゃって野郎が食いついてしまうトピックというか、 ”トラップ”へ引っかかってるのかもしれん。 幸い、このページの題名は 「親切なカラス」なので、関係ないけどね(笑) ともかく罠だらけだ、外側も内側も!

そういえばこの動画のコメント欄にも 罠について言及してる方が一人だけいた。 “この頃はまだカラスが多いのですね。今はカラストラップというものが公園内に多数仕掛けられ、代々木公園もカラスが10/1くらいでしょうか?ものすごく減ってしまいました” 実は代々木公園はカラスの屠殺所なのだ。 私が最後に見た時には、 目立たない場所(公園内ではなく明治神宮との境目あたり)へ移動されていたが、 昔は枯れ葉やゴミが集積される園内の一角に堂々と罠が仕掛けられており、 道からもよく見えた。 生まれて初めてカラストラップを見たときの衝撃は忘れもしない。 なんとか脱出しようとギャアギャア鳴き叫ぶ カラスたちの悲痛な声が頭にこびりついている。 その枯れ枝や葉っぱの積み上がったゴミ集積場の門には “最近カラストラップが何者かに破壊されました。  今後、同様の行為があった際は然るべき法的処置を…” ..なんたらかんたら、という警告も貼ってあった。 公園にはバードサンクチュアリという 野鳥たちの楽園と(うた)われる一角もあるのだが、 どうもカラスに限ってはゴミ扱いらしい。 枯れ葉や落ち葉と同様、集めて燃やす扱いだ。 屠殺所と書いてしまったが 実際は保健所で殺されるので、 厳密には 明け渡し所 と言ったほうがいいだろうか。 公園事務所で事務員さんに話を聞いた事もあるが、 集めたカラスは炭酸ガスによって殺処分される。 貰い手の見つからなかった捨て犬や猫と同様に 窒息死させられてしまう(安楽死ではない)。 その後は燃やされて産業廃棄物になるから、 “集めて燃やす”は、あながち間違いではない。 なんとひどい差別だろう。 なんて(むご)たらしい事をするのだろう。

この動画がそれなりの再生数になった時に それらを告発すべきかどうか、かなり迷った。 「勇気ある何者かによって一度は罠が壊されたようだが、  いっそのこと オレ様が堂々と正面から破壊して...  その一部始終をアップロードするというのは?」 「...いやいや、そこまでしなくてもいいから  せめて 動画のコメント欄に何か訴えてみるとか、  もしくは さり気なくトラップに付いて触れたコメを  一番上にピン留めして 人目につくようにするとか?  それができるのはアップロード者の自分だけだし!」 と、いろいろな葛藤をした。 そしてどれも実行しなかった。 私は犬猫の殺処分廃止を訴えて このWebサイトで活動しているが、 基本ポリシーとして「その他の動物問題にはノータッチ」としている。 これも結局は罠にかからないためだ。 自分は”政治活動”として殺処分問題に取り組んでいるが、 世間からは いわゆる「動物愛護活動」と(とら)えられてしまう。 動物に関連した事だから動物愛護と見られるのは仕方ないが、 “いわゆる動物愛護”には、絶望的な一つのハードル(というか罠)がある。 ずばり「自分が動物の立場を代弁するハメになる」という地雷だ。 それをやり始めると、とたんに活動がクソまみれになる。 そんな主張を(のたま)おうものなら あちこちで罵声の応酬や泥仕合(どろじあい)が始まる。 こういった罠にハマる動物愛護家や活動家は大勢みてきたし、 底なし沼のように延々と続く不毛な水掛け論も沢山みかけた。 危うく私も その沼地へ足を一歩 踏み入れるところだった。 残念ながら動物の言葉は代弁できない。 したとしても、 それは結局「本人がそう解釈した」だけで、 証明もできないし他人に説得もできない。 ここが泥沼の正体、その構造のコアだ。 動物は人と違って言語を持たず 言葉もしゃべれない。 もちろん感情表現はあるし鳴き声も出すから 読み取ろうとすれば ある程度読み取れる。 犬なんかは特にわかりやすい。 しかし、 それを代弁しようとすれば翻訳者の主観に大きく左右されるし 主観は人それぞれバラバラだ。 そして人間は他人の主観がたいてい嫌いだ。 それに基づく意見など もっと嫌いだ (これは私の経験から出た結論なので つまりこれが主観) なので仕方のないことではある。 動物側の立場から何かを主張しようとすれば、 自分の主観をもろに出さなくてはならない。 時に、自分の意見や主張を通すために 「彼らはこうしてほしいはず」「こう思っているはず」と、 ”動物へ自分の主観を代弁させる”といった あべこべにもなりかねない。 そんなやりとりを頻繁にぶつけ合って泥仕合にならぬほうがおかしい。 この動画のコメント欄にも「どこが親切なんだ?」という意見は沢山ある。 それはもっともだし、上でも触れたが 親切かどうかなんて僕も知らない。 けれど、個人的には「親切なんじゃね?」くらいには思っているし、 なんだかんだでカラスが好きだ。 あいつら見てると 楽しいし可愛いよ?

とはいえ、「動物愛護」という単語からは距離を起き、 殺処分問題にしても、自分の運動は「政治活動」と呼んで(おこな)う。 被害者 このオレ動物ではない。 “なんとか脱出しようとギャアギャア鳴き叫ぶ  カラスたちの悲痛な声が 頭にこびりついている” これなんだよ、肝心なのは! カラスが悲痛か否かは無関係だ。 オレ様は図太い神経と強大な精神力を持つ超人だから これしきの被害で済んでいる。 だが... 繊細な心を持つ他の活動家の皆様の中には 初めて殺処分の動画を見た時、 「夜眠れなくなった」とか「食べ物が喉を通らなくなった」とか、 「わけも分からず涙が止まらない事が増えた」とか、 精神的苦痛や被害を受けた方はたくさんいる。 なにも活動家に限った話ではなく、 一般人にも そういう人はいるでしょう。 「動物(かれら)可哀想(かわいそう)」と代弁せずとも この理屈ならシンプルだ。 動物愛護だと「動物の為に」だの、そっちへ話が行きやすい。 これにもまた罠が潜んでいて、こう言ったほうがなんとなく 「聞こえが良い」「共感される」というメリットがあるので、 そちら方面にアクションや呼びかけを起こすほうが 簡単に支持や仲間が集まる気がしてしまう。 懸命に動物の声を代弁するような主張を繰り広げ、 ひたすら共感を稼ぐ活動を行うのが向いてる人も居るだろうし、 そのほうが成果が上がって啓発になるケースもあるとは思う。 改善事例につながるかもしれないから 否定も肯定もしない。 ただ、私はどうにもその方面へは将来性が見いだせず、 そして今はこの方向(他の誰でもない自分の為の活動)で良かったと思ってる。 しかし本心ではもちろん 動物には助かって欲しい。 心の奥では... 「ギャアアアーッ なんて酷いことを!!」  「かわいそうだろが! 今すぐやめれー!!! と叫びたいのである。 犬や猫に対してもそうだし、 牛だろうが豚だろうが羊だろうが ニワトリでもカラスでもスズメでも、 イルカ、クジラ、なんならシラスでもだ。 だが、上に挙げた動物たちの中で 現在の日本では どれが一番共感の対象や 保護の対象として選ばれるだろうか? これが「愛護活動」だと すげぇ面倒な話になる。 「命は平等!」「みんな大切な仲間たち!!」 というフレーズが出てきたら、もうヤバい。 そのフレーズは立派だ、私だって大賛成だ。 みんな助かったほうがいいに決まってる。 ...が、それで話が進むか? と言うと 進まない。 これが「政治活動」だと すげぇ簡単な話になる。 「犬か猫だろ」「犬のほうが共感が得られて有利」 というフレーズが出てくれば、もう早い。 そのフレーズは現実的だ、僕だって大賛成だ。 どれか助かったほうがいいに決まってる。

あの鬼畜のカラストラップもあって胸糞悪いし、 代々木公園にはめっきり行かなくなってしまったが、 現在はどうなっているのだろうか。 たぶん、まだあるんだろうなぁ... より人目に付きづらい あの明治神宮側の柵の奥らへん...... ごみ集積所の所にも復活してたりしてな。 いや、流石にあの恐ろしい処刑場もどきを、 あんな目立つところへ公然とは置かないよな。 小さなお子さんが見たら どう思うんだろうな...。 ゴミ集積所の一角に設置してた時代、 僕が「なんだろう?」と思って接近した際、 こちらに殺意がないにも関わらず カラス達は死に物狂いで暴れまわった。 あの反応を見るのは相当きつかった... 自分達が「殺される」と知った生き物の取る典型的リアクションだった。 私は殺すつもりなど全くないのに、そのトラップを仕掛けた心ない者 (生き物を平然と殺す人たち)と同じに見られている という事も、 なんとも いたたまれない気持ちにさせられた。 実にかわいそうな事は、 カラスの利口な頭脳が“自分は殺される”と知り、 いずれやってくる近い将来を認識できたところで、 あのトラップからは絶対に逃げられないし、 いくら暴れようとも 保健所に連れて行かれて ひでぇ殺され方をするのは変えられない という事。 そして、利口と言ってもしょせんは鳥なので 人間の考えたトラップを見抜くまでの知能は無く、 いくら賢くても鳥である以上 捕まってしまうという事。 金網の中では暴れる以外 彼らには何も出来ない。 生命とは最後の一瞬まで命をつなごうとあらゆる手段を(もち)いる。 そういう設計思想と根本機能、盲目的衝動あってこその生命なのだ。 仮に「暴れても苦しむだけで何も意味などない」とわかっていようとも、 生存への渇望によって沸き起こる自らの意思を捨てることはできない。 意思を持つ以上「何もせずにはいられない」衝動が生まれる。 よって、完全に塞がれた狭い檻でも 暴れて暴れて暴れぬく。 結果、最後の一瞬まで苦しみぬく。 鳥の体は軽いし もろいので、 金網に足を引っ掛けて骨折するなり 羽が痛むなり、 あんな狭い場所で複数のカラス達が暴れたら苦痛も倍増だろう。 それら遠大な不条理と 大量の苦痛と、 血の気の引くような胸糞悪い残虐行為が、 もしかすると ...っていうか ほとんどたぶん、 公園の茂みの奥で今もこれからも延々続くと思うと、 これを最後まで読んだ君は もうホラー映画 ...いいや、 内臓グチャー 血液プシャー のスプラッター映画すら 退屈でしかたなくなるのではないか。 そんな作り物(フィクション)より、現実の方がずっとホラーだろう?

けれど現実には良いところも少しだけあって、 それは「自分の行動次第で結末が変わる」ってところだよね! 映画もいいけど、この点はやっぱりゲームのほうが楽しい。 この悪夢、ホラーでさえ、行動次第によって 「ハッピーエンド」へ繋がる可能性はある。 さもなきゃ誰がこんなネットの場末の誰も見ねぇ個人サイトの片隅で シコシコと長文なんか書くかっての! あのカラスの無駄な努力、それに伴う悲痛な叫びは、 残念ながらオレ様の耳へ届き いくらか心を動かした。 もちろん、私のポリシーは変わらないし この長文をWebページに載せる以外は何もしない。 最初にゴミ集積所へ侵入してトラップを壊した勇者に比べれば、 何のリスクや労力も伴わぬ安い作業だ。 が... その結果がどうなるか?は、 最初に述べたように 全く予測できない (ペンは剣よりも強し って言葉もあるしな) 重機や工事の様子をじっくり丁寧に撮影した 工事現場の動画群すべてをひっくるめた再生数すら、 ただのカラス動画一本がブッちぎって抜いてしまった。 これを読んだ人の心がほんの少しでも動き、 カラストラップの話や 名もなき勇者について 誰かへ話したり、なんらかの反応をしてくれたなら... ただ「親切な」【続】というフレーズが入っただけで あそこまで数字や結果が変わるかもしれないのだから、 このチンケな40KB(キロバイト)に満たないWebページが どんな影響を出すかは 知ったことではない。 そう考えると 人生はけっこう楽しいものだ。 現実はホラーだし、この世は理不尽と不条理に溢れてる。 その分、なにがどういう結果につながるかも時に不合理だ。 完全には予測できない。 いま私は、洗濯物やゴミ袋の放り出された薄暗い四畳半の部屋で、 カップ麺や弁当ガラの散らかる机のモニターと(にら)み合いながら、 眉間にシワを寄せつつ 世の不公平や社会的不正に(いきどお)り、 カタカタとキーボードを叩いてるかと言えば、 ...全然そうではない。 そういう時期もあったかもしれないし、 それでも良いのかもしれない。 それが楽しいならやればいいし、 嫌ならやめればいいのだ。 「カラストラップのせいでホラー映画や  スプラッター映画が楽しめなくなった。  どうしてくれるんだコノヤロウ!! と、私を攻撃しようが行政を攻撃しようが、 カラスを攻撃しようが無差別殺人をしようが、 思想や言論や概念へ攻撃しようが、 同じく どうでもいいと思う。 ゲームの楽しみ方は人それぞれで、 どういうプレイがどのエンディングに行くかは、 やってみてのお楽しみだ。 ゲームをやらないのもありだけど、 残念ながら人生というゲームは誰もが強制参加らしく、 しかも死ぬまでは やめれないらしい。 もし 生まれ変わりや死後の世界があるのなら、 死んでもやめれないらしい(しらんけど)。 いやぁ~ ホラーっすね~、カラスも俺らも。 仮に この世が地獄だったとしても、 せめて地獄の住民同士くらい仲良く協力し、 お互いを心配しあい、助けあい、手を取りあい、 プレイ中だけでも快適にしたいもんですなぁ。 それすら出来ない下等生物には、 もしかすると次は大地獄っていう さらに面白い世界(ゲーム)が始まるかも! わははは!!

ここへ来る人が「親切なカラス」のページ下に溢れてる 再生数の多い動画へ金太郎飴みたいなコメントよこす (ただ)の暇人か、 別の公園にあるカラストラップの破壊を(くわだ)てて色々と調べてる勇者か、 はたまた無関係なキーワードで流れ着いた一般人なのか。 この文章が、どこにでもいる暇人ブロガーがたまに()れ流す 意識高い系ポエムや 哲学しちゃいました系エッセーと解釈されるか。 人間の行動心理を熟知し 高度な文学能力を備えた煽動主義者が 卓越した知性と執念によって練り上げた演説と解釈されるか。 実はAIによって自動生成された単語の羅列と見られるか。 それらのどれにも属さない個人的な日記か、 はたまた健忘録か、禅問答か。 それすら知る(よし)は全くないし 知らなくていいのだ。 動画を撮るのは好きだし HTMLはおもしろいし 文章を書くのは楽しい。 映像は撮るほど、コードは打つほど、文は書くほど上達するので、 いくらプレイしても なかなか飽きない。 そうやって制作した作品の中には、 鼻くそほじりながら書いた低品質の物が異様にウケたり読まれたり、 かといえば 気合を入れた高品質(ハイクオリティー)な力作が全く不発だったりする。 それらの現象が全て偶然に起こるかと言うと、 そうであったり なかったり...。 ともかくまぁ 私は楽しんでるし 君らにも楽しんでほしいのだ。

話を簡潔にまとめると... 「あのカラストラップがなくなったら うれしいなぁ」 と、いつも思っている。 それと、 せめてこれくらいの記録は残しておかねば と、たまに考える。 「やっぱ女と自転車は軽いのに限るぜ」というフレーズに、自分でウケて爆笑してたりする。 それだけ。 カラストラップ

初版 2021.10.21





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