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  2013/03/25(月) 20:37
同級生は松阪牛
 



 同じ動物関連の話題ですが、

 これは殺処分廃止計画とは

 直接的には関係ないので

 単なる僕個人のぼやき、愚痴です。














 最近こんな動画を見ました、






 スラム街に暮らす1人の男性が

 毛皮のために殺される動物たちの事を知り、

 そして取った行動とは・・・

  
 http://tribeofheart.org/sr/wit_english.htm

 43分と長めでしたが

 最後まで見てしまいました。



 悲しいお話ですが

 とても勇気が出ます。














 そしてこちらは

 ついさっきの事ですが、、



 何気なく携帯のワンセグをつけたら

 こんな番組がやってました。

 

 
 日本テレビのnews every.で放送、


 タイトルは

 同級生は松阪牛
  〜 命の授業

  
 http://youtu.be/qOtIrNa1Ilk







 
 ・・・・・・・


 いや、もうテロップが見えた瞬間

 おおよその内容は予想できたのですが

 寸分たがわずその通りの番組でした、



 そして番組の最後に

 2人の司会者っぽい人が



「何気なく食べている食材でも
  一生懸命育てている人たちがいると思うだけで
  食べ残しって出来ないですね。」


「本当に命に対していただきますという
  気持ちを込めたいと思います。」



 と言って終わった。





 おいおい、


 命の授業とか題してるくせに

 着眼点はそこかい!











 映画、フルメタルジャケットで

 こんなシーンがあります。



 




 ヘリから機関銃で

 ベトナム人を撃ちまくる兵士、

 

 




 そして・・・








 仲間の兵士(役名:ジョーカー) が

 「よく女子供が殺せるな」

 と聞くと、
 
 
 
 彼はこう言うのです、








 「簡単さ、動きがのろいからな」


 



 あの司会の言ったセリフと

 このセリフには不気味と似ている

 共通点があります。


 

 この場合の兵士にとって

 ベトナム人は殺す事が大前提、

 よく殺せるな? という問いに

 「戦争だから仕方ない」とか

 「胸が痛むがこれが俺達の仕事なのさ」

 みたいな受け答えはしません、

 もはや着眼点がそこですらない。




 だからこれは映画の中でも

 非常に印象的な名ゼリフと

 なったのかもしれません。






 そしてこのキャスターの言う事も

 ようするに、
 
 牛という物は殺す、

 食べるが大前提 であって、

 殺さずに済む方法は無いか?

 などというところへ

 もはや焦点さえありません。




 だからこの

 「一生懸命育ててる人たちがいると思うだけで、

  食べ残しって、できないですよねー」



 なのです。





 この発言のすぐ前に先生が


 

 




 「"いただきます"という意味は
  作ってくれた人に"いただきます"というよりも

  "命をいただきます"という意味もあるので」 


 と言ってます。


 さすが現場の者達は

 命に対しそれなりには

 敬意を払っている

 姿勢がうかがえます。


 
「それをこれからも

 忘れないでほしい。」


 と生徒達に言って

 締めくくるのです。




 が、その直後すら

 "一生懸命育ててる人達がいると思うと"

 なのです。





 命の授業と言ってるくせに

 "動物の命"にはピントすら合いません。


 無意識に言葉へ表れてると思います。












 ここに「動物は動物、人は人」という

 大きな価値差、溝、隔たりがあるのが

 わかるでしょうか。




 かつて白人が黒人を奴隷にしていたり、

 ある民族がある民族をガス室で大量に虐殺したりと

 信じられないような蛮行が許さてた時期が

 人類にはあります。(まだまだありますけど)



 きっと彼らも、今の私たちと

 同じ意識だったのかもしれません、

 なにしようと別に良心は痛みません、


 「かわいそうだからやめろよ」

 っていう人も言たでしょうけど、

 「えっ、だってこいつらは黒人だろ?」

 だったのじゃないでしょうか?




 「白人は白人、黒人は黒人。」





 我々も同じように


 「人は人、動物は動物。」


 です。



 「黒人なんて奴隷だろ」

 「だって動物は食べ物でしょ」


 つまりそういう認識。





「白人だの黒人だのといった

 人種差別問題は

 単に肌の色が違うだけ



 動物と人は姿形、そもそも

 種族からして違う、

 同列に語る問題ではない。」



 という人もいるかもしれません、

 いいえ、同じです。




 ずばりそこが問題意識、

 牛だって犬だって猫だって

 痛みを感じます、恐怖も感じます。



 食料を喰ってクソも出すし

 別に何を考えるわけでもなく

 生まれてしまったからただ生きてるだけの

 いずれは死んで土に返る有機物。


 自己のコピーを複製し

 うじゃうじゃ繁殖するのが

 究極の目的という

 意味不明な意思まで持って

 日々頑張ったり、戦ったり、働いたり、

 セックスしてケツ穴の隣から

 子供だって産み落とします。



 いったい彼らと我々の

 どこ違うのでしょう?


 肌の色が違う。程度の差と、

 姿形が違う。程度の差は、

 この圧倒的なまでの共通点の前に

 どの程度の何が違うというのでしょうか?




 我々だって元々は

 毛むくじゃらのサルでした。



 今、動物と呼んで

 好き勝手利用してる物と

 同じ者だったんです。



 たまたま別の方向に進化し

 PCかスマホでこの文章を読んだりできる

 物好きなサルへ変わっただけの話です。










 彼らだって我々と同じく痛みを感じたり

 恐怖も感じたりするのはもう

 誰だって知ってると思いますし

 感情だって持ってます!





 この番組の中ですら

 「松阪牛は臆病な性格で・・・」

 と彼らの特有のクセや

 性格の事に触れてさえいるのです。



 松阪牛のゆるよしを育てていた

 女の子の生徒だって、

 なぜ「可愛い」と

 愛着がわくのでしょうか?



 それは動物だって私たちと同じように

 気持ちのよいことをされたら

 うれしがったり喜んでくれたり、

 恐い時は逃げようとしたり怯えたり、


 気持ちが通じ合ったり

 身近で親しい存在と

 感じたからではないのですか?






 


 動物や人間というものに

 区別や線引きは確かに必要です、


 しかしだから食べても良い、

 まして手を合わせて

 「いただきます」と感謝すれば

 許される。といった事は

 違うのではないでしょうか?



 極端な話、もしあなたが、

 もしくはあなたの娘が

 レイプされた挙句

 ひどい暴行を受けて

 辱められたとします。



 加害者の男性がこう言います。


 「おいしかったです

  ごちそうさまでした。」


 いただきますの理論からすると

 ここは当然感謝すべきですよね。


 レイプ物や鬼畜系のエロビデオが

 巷に溢れているのを見ても

 そういう欲望の一側面があるのは確かで

 性欲が食欲に並ぶ根本的な人の営みである以上、

 ここは謝罪や懺悔ではなく、

 犯したからにはせめて

 感謝するのが筋のはずです、

 それも犯された子の為に。



 あなたがその娘、

 もしくはその親であったら・・・


 それを許せますか?

 受け入れますか?






 別に男性は女性を犯さないと

 死ぬわけじゃありません。

 けれどもレイプの方が好きだから、

 おいしいから。という理由で

 その人の事など一切無視して

 犯し、汚し、辱める。



 私たちはこの最低な思考回路を持った
 
 レイプ野郎と同じ過ちをしているのでは

 ないでしょうか?



 拒否することもできず

 生まれたときから

 檻へ入れられ育てられ、

 享楽の為に殺される動物は

 どんな気持ちなのでしょう?



 お手手を合わせて

 感謝して食べてもらうことを

 望んでいるでしょうか?



 宇宙人が地球へやってきて

 人間を畜産動物として飼い始め

 同じような目にあわされたとしたら

 少なくとも私はこう思います。



 ふざけんなカス!



 




 屠殺所の前では動物が殺されると直感し、

 全力で抵抗するのは良く聞く話です、

 特に馬は自分が殺される事がわかるとか。。

 (殺処分される犬なども同様に鳴いたり暴れたりするようです。)


 




 肉を食べなければ

 死ぬわけではありません。


 むしろ健康に良く

 あらゆるメリットがあります。

 (理由は後述)




 セックスだって

 互いに気持ち良くなれるほうが

 最高でしょう?



 レイプとか肉食も

 いずれはファンタジーや

 創作の中だけの楽しみに

 なったら良いのにな〜...



 はじめ人間ゴンに出てくる

 マンモスの肉って

 マジうまそうですよね!


 あの肉をうまそうと思うことや

 レイプ物のAV見てシコるのは

 別に何の罪でもないことです。
 
 オススメはしないが...


 


 











 











 私はこの司会者が悪い!と

 批難したいわけではありません。



 常に放送される雑多な話題へ

 もっともらしい事を言って

 対応しなければならないので、

 これはプロの仕事です、

 妥当な言い草でしょう。



 ただこんな意識が

 "もっともらしい事"であるのが

 とても悲しく思います。



 主要メディアが常に

 大衆へ迎合する物である以上、

 これがこの国でもっともな

 価値観であることを物語ってます。







 こんな番組が命の授業だなんて言って

 放送されるのも悲しければ、

 あの後の牛がどんな目にあうか

 考えもせず画面の向こう側で

 ハナクソほじって「へぇ〜」と

 何の疑問も感じない人、または

 「こうやって人は大人へと成長していくのね!」と

 一緒にウルウルしてるヤツがいたのなら

 なお悲しい。。 自分も人のこと言えないので

 前者はまだしもだが、後者はズバリむかつく。

 

 ついでに何も出来ない

 自身の無力さも悲しい。






 いや、これからは

 もう肉を食べまい・・!



 たまに喰っちまうと思うけど

 いずれ胸張って

 私はベジタリアンでぇ〜す(ハート)

 とか言えるぐらいには進化したい!




 何だかんだでオレ様も

 自己の複製が究極の目的っていう

 くだらねぇ意志に動かされてる

 いち生物であるわけで

 基本それに逆らうつもりはないです。


 である以上、ベジタリアンになる事は

 胸を張って「進化である!」と提言したい。





 肉食べてた時より穀物や草食の方が

 調子がいいし、健康に良いという実感は

 経験上いつも痛感してるので

 これからも続けていく上で疑念はない、



 さらに効率という観点、

 経済的にも最高である、肉高いし。



 と言うのも実は良い本があるので

 ここに紹介したいのですが、

 これを読んで意外な事を知り、

 私はベジタリアンになる事に

 非常に魅力を感じました。



 こちらからタダで読めます(2013/05/03 現在)

 どうして、ベジタリアンなの?









 実は肉食ってこういった

 動物に対するもろもろの

 倫理観うんぬんの前に

 CO2は出すわ、食料を減らすわで

 非常に効率の悪い方法なんです。



 なぜ食べる為の牛や豚を育てると

 食料が減るのかと言うと

 実は小学生でもわかる

 非常に簡単な話なのですが、


 牛や豚を育てるのに

 たくさんの穀物や草、

 つまり与えるエサや水のほうが

 莫大な量になるのです。


 まぁ当たり前ですよね、

 10kgのとうもろこしを食わせた牛が

 そのまま10kgは成長しません、


 ならば10kgのとうもろこしを

 そのまま人が食べればどうなるでしょう?


 実は世界中の飢餓なんて

 みんな肉食やめれば一瞬でなくなるんです。

 




 そのことを鋭く説明した

 「どうして、ベジタリアンなの?」

 は一読の価値ありです、

 


 読むのがめんどくさいという方は

 恐れ多くも、このオレ様が
 
 音読してやったので

 ぜひ聞きやがれください。
 
 
 (と言っても読み直すついでに動画の収録練習も兼ねて撮っただけ)




























 というか日付けをまたいで

 2回・3回に分けて書いてしまい、

 言いたいこと書きすぎて

 記事まで2・3個に分かれてしまった。




 一気に動画収録にしとけばよかったなぁ...















 ともかく結局なにが
 
 言いたいかって言うと、
























 なにが「同級生は松阪牛」だよ。

 
 同級生は松阪牛



 同級生なら殺すな!

  それと喰うな!!

 










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