2023.01.09(月) 21:27
これまでの要約。
- 場当たり的な活動方針のせいでサイトのコンテンツが混沌。 → まとめよう。
- このウェブサイトの方向性や殺処分廃止計画の方針をわかりやすくして新たに定めよう。
- これまでの経緯や活動成果を説明し、今後の方針や何をやっていくか表明する物を作ろう。
- 膨大なHTMLファイルをどういう形式でアーカイブ(保管)するか事細かに決めていこう。
- 何世代も1次資料として引用されるような立派なWebページを作ろう。
- いつでもどこからでもアクセスできて誰でも使えるように統一したルールや形式も考えよう。
- Internet Archive を支援せよ!
- 後世の人類にバカ扱いされるか尊敬されるかは この瞬間の我々次第。
- Wikipediaや健全なインターネットは超大事。そして殺処分の廃止こそ重大な遺産!
去年1年間はHTMLやCSSを勉強しまくっていた。
文章の書き方やテクニックも学んだ。
HTMLやCSSに関しては、今も新しいタグや記述を覚えて上達している最中であるが、文章に関しては、もう学ぶべき事がほとんどない状態になってしまった。
しようと思ってしたわけではないが2022年10月7日、おま献の追伸にて「大文豪宣言」をした。
この間まで句読点(の使い方すら間違えていて、くとうてんも「くどくてん」と言っていたのに、大した進歩だ。
HTMLも初めの頃は、ネスティングルール破りっぱなし、子要素に親要素を入れる、バリデーションチェックしない、CSSに関しては「学ぶ必要なし」と拒んですらいた。
だが、今では影をつけたり、傾けたり、半透明にしたりと自由自在だ。(被せることも出来るぞ)
1年間ほど勉強しまくって、はっきり言えることがある。
ずばり「勉強って... すごい楽だなぁ」ということ。
何が楽かというと、要するに効率が良くなるのだ。
どれだけ楽なのか、この2つを見ていただきたい。
※1
「勉強って... すごい楽だなぁ」
※2
やろうとしていることは、角を丸めた灰色の四角いテーブルの中に一文を載せたいだけ。
※1はCSSを勉強したお陰で書けるようになったが、CSSを知らなかった以前は※2のように記述するほかなかった。
※1のコード
※2のコード
ちょっと勉強してさえいれば、こんな長いコードを打たずとも border-radius:0.3em; の一行で角丸になる。
※2はそれぞれの隅に画像をはめ込んで角を丸く見せるという力業(なので、画像も4枚用意しなければならない。
なんとメンドクサイ!
ましてテーブルの色を変える時は画像まで直す必要がある(しかも4つ)。
おまけに今のブラウザでは、この技が通用しなかったりする。
私のパソコンだと こんな表示だ。
ともかく、勉強すると楽になれるのだ。
テーブルの角丸が ふざけた表示になってしまおうと、原因がわかっていればサッと対応してパッと直せる。
そもそも表示が壊れないようなコードを書けば その一手間(さえ省(ける。
勉強とは素晴らしいものだ! いっぱい勉強して どんどん楽になれば良いではないか。
楽になれば時間にも心にも余裕ができる。
その分もっと勉強すれば さらに楽になれる!
はい。
今さっき すごく大事(なこと(というよりヤバイこと)を言いましたよ?
どこが大事(か、君はわかった?
...... うん、そうだね。
「もっと勉強すれば さらに楽になれる」だよね。これはヤバイ。
どのくらいヤバイかって? これほど素晴らしい勉強の意義や恩恵が完全に吹き飛ぶくらいにはヤバイ。
だってそうでしょう。せっかく楽になって時間にも心にも余裕が出来たのに、そのゆとりを再び勉強に使ってどうする?
世にあふれる自己啓発本というゴミの山や、そこへ群がる凡庸な大衆(特に男)は、この罠にハマっている。
自己啓発オタクやノウハウコレクターと言われる人の話を、私は数多く聞いてきた。
知識やハウツーやメソッド、どうでもいい有名人の成功エピソードとか、大企業の創業者の苦労話を山ほど知ってるアイツらです。
本当によく勉強してますよ 彼らは。 けれどガラクタです。
ともかく、あんな長ったらしいコード貼り付けてまで、CSSを「学ぶ必要なし」と拒み続けた私には「お見事!」と称賛を送りますし、バリデーションチェックすらせずにHTMLをWebへ上げ続けた行動力と、その実戦主義に敬意を評します。
そもそもHTMLなんて、ただ文章や音や画像映像をウェブページで表現するための言語でしかありません。
ましてCSSなんて「Cascading Style Sheets(」。スタイル... つまり視覚的、感覚的効果を定義する手段なだけ。カスみたいなもんですよ! カスケーディングなだけに。
テーブルの角が丸くなったり
文字の角度を変えてひっくり返せるからって...
そ
れ
が
ど
う
し
た
!?
ダ
カ
ラ
ナ
ン
ダ
?
もっと重要なのは、それらを駆使して大切なことを表現したり、有益な情報を発信したり、役立つサイトを構成することです。
大事なのは内容(であり、中身なのです。
勉強などという、しちめんどくさいものは適当なところで切り上げて、実践(や実戦をしたほうが良いに決まってます。
実践こそ最大の学び舎(です。
「完璧なHTMLが書けてCSSもマスターしてからWebサイトを作ろう」
「魅力的な文章や 面白いことが書ける文豪になってから情報発信しよう」
...などという、殊勝(な態度で挑んでいたのでは、政治活動など務まりゃしません。
それにほら、見てくださいよ奥さん!
それがどうした!?のコード
ダカラナンダ?のコード
青文字の部分がCSSの記述なんですがねぇ。
HTMLやCSSを勉強しまくっちゃうと、こんな重複(した長ったらしいコード見たら、居ても立ってもいられません! だってCSSは、毎回 style=”なんたら:かんたら;” って書かずとも、<head></head>の中の<style></style>タグへ、見本となる一行を記述して class にすれば、残りのスタイルシートは全て class=値 で片付きますからね。
ほら。
そ
れ
が
ど
う
し
た
!?
ダ
カ
ラ
ナ
ン
ダ
?
生まれ変わった「それがどうした!?」と「ダカラナンダ?」のコード
<head></head>の中の<style></style>の中のCSSの記述
こうやってコードを工夫したり縮めたりする作業は楽しいです。
さっき文章の途中で字を傾けるCSSの時も display:inline-block;という新しい記述を使いました。
「へぇ! display:inline;は知ってたが、inline-blockなんてあるのか! 他にはどういうやり方があるのだろう?」と、勉強したくてたまりません。
けれど、私のような類稀(なる才気を持った貴重な大天才の能力を、誰も見ないソースコードの切ったり貼ったりに費やすなんて...
アンネ・フランクの実物日記帳を破いて鼻をかむティッシュに使うようなもんですよ。
断じて許されることではないし、用途としても不適切です。
とはいえ、勉学が好きで仕方ありません。いくらでもWikipediaを読み漁ってますし、エンジニア系ブログのお世話にもなってます。
これを書いてる間だって、「そもそも Class=値( の"値"って使い方、これであってるだろうか?」と、危うく調べかける寸前でしたからね。
本当にどうだっていいです、んなもん。
値(だろうが額(だろうが、言いたいポイント(つまり内容)は伝わります。
ひとつ確かなのは、記述の美しさや語句の正確さを いつまでも追求してたら、ウェブページが出来上がる前に寿命が付きて死体(になるってことです。
はい、「寿命が付(きて」の「付」は間違い。
正確には「寿命が尽(きて」です。
結局このページで言いたいポイントとは何なのでしょうか?
副題にもある通り「千年後まで残るウェブページ」に付(いてです。
ダジャレを言う為に こんな長い前置きを書いたわけではなく、「どこまで勉強するべきか?」「どの程度、学べばよいか?」というポイントを抑えておかないと、「総括の準備その2」の要点である「膨大なHTMLファイルをどういう形式でアーカイブするか事細かに決めていこう」の趣旨と、「記述の美しさや語句の正確さなど どうだっていい」の姿勢(は両立できません。
「重要なのは有益な情報」「役立つサイトの構成」「大切なのは内容(、中身」ということを、お題目や、建前や、ハリボテのようなスローガンとしてではなく、超実際問題的現実事象として。要するに「すごく重要だから忘れないでね(ハート)」という実践項目として頭に叩き込まなければならないのです。
それらを実感をもって理解し、何が「重要か」「重要ではないか」の判断が出来るようになって、はじめて細かい内容も役立ちます。
いくら「HTMLはこうすべきだ~」「CSSはこのくらい勉強しなければアカーン!」「JavaScript(とは~」などと、眠たいことを言っても、千年先まで残るウェブページに最も必要な資質である「何が書かれているか?」「どんな内容か?」「役に立つか?」の重大さに比べれば屁みたいなものです。
屁みたいな事を語る眠たいやつの話など誰が書き留めようと思うでしょう?
私がいくら天才で文豪で、福徳に満ちた人格者だろうと、そんなものは死ねば消え去るわけです。
この文章しかり、ウェブサイト然(り、な~んにも残りゃしません。
仮に残っても、それらを見たり読んだりした人へ、なにかしら勉強になって人生が楽になるなり、幸せを感じて幸福度が上がるなり、個人にせよ社会にせよ 良い影響を与えない限りは、観光地にある銅像や 誰も読まない(または読めない)碑文や石碑みたいなものでしょう。あってもなくても変わりありません。
なので、そこいらに転がりくさった暇人の駄文や ツイッ○ーみたいな放言を読む時のマヌケ顔ではなく、テメェもしっかり目を見開いて 歴史の証人として立ち会うぐらい凛(とした態度にて読みやがれください。
とは言っても難しい事は書かれてません。
目を見開くのが疲れる人はいつもどおりに戻し、
凛とした態度がつらい方はリラックスしましょう。
本項「総括の準備 その3」では、「その1」「その2」を踏まえて決定した細かいルールや形式、それらの要点を説明します。
これらは、本気で1000年先までウェブページが残るようにと考え抜いた、現時点で最善と思われる事項です。
大前提に関して
・内容(が一番! 装飾や細かい事は二番
文章に関して
・短く、読みやすく、簡潔に
・ともかく短くする(圧縮する)
・わかりやすく読みやすい文を心がける
・一文を長くしすぎず「。」で区切る
・漢字は3つ くっつかないようにする
・読点は出来る限り減らす(半角スペースで代用)
・バズワードやスラングを避ける
・同じ意味の言葉の重複を避ける(強調する場合を除く)
・同じ意味の字を重複させない
・声に出して読んでも美しくなるように心がける(ルビをふる)
・字の意味を間違えずに使う(-(,–(,—(,―()
・時間があったら注釈をつける(現代の言葉は後世では通じないかも)
・一度出版した文章の修正はNG
・追記事項や続報は追伸を使って足していく
画像、写真、動画に関して
・Exifタグは残す
・僅かな画質の犠牲でファイルサイズが大幅に縮むなら圧縮する
・とくにPNG画像は色数を落として最適に圧縮する
・キリの良い数字で整える
・キリの良い比率で整える( 16:9 4:3 )
・編集した画像や動画の元データを残す
・ウェブページのサムネは1枚で十分
HTMLやCSSに関して
・コードは短くする
・コードは徹底的に短くする(;さえ省略する)
・余計な記述やタグを減らす
・タグを減らすとコードが長くなる場合はコードを短く!
・バリデーションチェックは必要最低限にする
・一度アップしたページの修正は避ける(キリがない)
ファイル名の付け方、ディレクトリ構造、その他の事。
・なるべく英語(unuse,making,source)
・フォルダの中に一つのファイルしかない場合、新たにimgやtextフォルダを作らない
・重複したファイル名の場合、階層構造にする(URLの短さが重要)
コンテンツが一番重要!
— 装飾や細かい事は二番で良い —
辞書をひくと、コンテンツとは...
1. [容器の] 中身,内容物
2. [書物・文書などの] 内容
とあります。
文章にもウェブサイトにも内容(があります。
このWebページもコンテンツの一つです。
この文章もコンテンツですし、それが書かれている「コンテンツが一番重要!」という章もコンテンツです。
奇跡の大天才「星野かなた」、つまり私もコンテンツです。
もっと俯瞰して、このサイトそのものである「星野かなたのホームページ(hosino-kanata.com)」はどうでしょうか?
それもコンテンツといえばコンテンツです。
インターネットには無数のウェブサイトがありますから、ネットの大海原から見れば、ここ全体も一つのコンテンツとみなせます。
コンテンツは contents なので、複数形です。
元の単語である content( の意味には...
(作品・論文などの)趣意(, 要旨, 真意 とあります。
これ以降は、コンテンツを趣意という意味でも使います。
趣意とは...
1.ある事をしようと思い立った動機や目的
2.言い表わそうとしている根本の意味
「千年先まで残るウェブページの資質として一番重要なのはコンテンツ」と断言するのは なぜでしょう。
なにゆえ、コンテンツが第一の最優先で大切なのでしょうか?
答えは簡単です。「良いコンテンツは後世に残りやすい」からです。
有害なコンテンツや、どうでもいい内容の文章を「これはすごい、保存せねば!」と考える人は少ないと思います。
後世へ末永く残るよう、複写されたり大切に守られる資格は「良いコンテンツ」ほど得やすいのです。
では何をもって「良い」と判断するのかというと、すでに上の方で書きましたが、”それらを見たり読んだりした人へ、なにかしら勉強になって人生が楽になるなり、幸せを感じて幸福度が上がるなり、個人にせよ社会にせよ 良い影響を与え”るのが「良いコンテンツ」です。
では、このサイトのメインコンテンツとは何でしょう。
日本語だと主な趣意とでもいいましょうか。
つまり目的であり、狙いであり、コンセプトであり、動機です。
それは「日本の保健所から犬猫の殺処分をなくす」という事。
これ以上でも以下でもありません。
犬猫の殺処分は、保健所ではなく動物愛護センターでされることもあるので、それらを含め「保健所」と一括りにしてはいますが、場所は「日本」の「保健所」、対象は「犬と猫」、現象は「殺処分」、目的は「廃止」と、極めて具体的に明言してます。
なぜ、それを主な趣意として13年もサイトを続けているのか?
その理由も明白で、被害の当事者だからです。
犬猫の殺処分を見ると苦しいのです。
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=Tuam7UDXTqM
この動画を見ただけでも胸が痛むし、殺処分を平然と行う社会で生きている事に、激しい嫌悪と不快感を感じます。
犬や猫の為にもなる活動ですが、究極的には、この苦しみを感じている私がいるからこそ、ここが存在します。
つまりは、完全に僕個人のニーズと要求に基づいた政治活動の場です。
では、この動画をそもそも見なければよかった、もしくは忘れれば苦しみは解決するでしょうか?
それはありえません。私は天才ですから、感受性が高く、思考や判断能力も明晰で、物事の因果関係を正しく把握する能力を有します。
記憶力も抜群なので、この問題に関しては どう考えても真正面から取り組む以外にありません。
ならば「見て見ぬふり」という態度を取ればよかったでしょうか?
それも不可能です。僕は素直で誠実であり、活発で明るい生き方を望む善人です。ウソやごまかしは通用しません。
そういった「後ろめたさ」を背負う不実な行為が、そもそも出来ません。
「凡庸な悪」とは無縁で、いつも「より良き人間性とは?」「規範的行為とは?」「どうすれば最大多数の最大幸福が実現するか?」
と思索してるような野郎です。いわんや判断や態度もそれに準ずる以外ありましょうや?
メインコンテンツの説明は以上です。
この趣意に真正面から取り組んでいるのが「殺処分廃止計画」というコンテンツであり、この「活動日誌」は補助的なサブコンテンツになります。
サイト上に載せている他の全てのものは、関係なさそうなジャンルやモチーフを扱っていようと、完全にサブコンテンツであって、いわば客寄せの役割です。
サブコンテンツといえど、私が興味や情熱を持って取り組み 手間ひまかけた作品は多くあります。
良いコンテンツを生み出すには、興味や情熱も大切ですが、それだけでは「こんなものを制作して何になるのだ?」と、意義を見いだせなくなったり、飽きればやめたりもするでしょう。
メインコンテンツがあるからこそ、最高の品を作る気になれて、疑念や雑念に囚われずクオリティーも上げれるのです。
勉強も苦にならず、お金も時間も労力もかかるサイト運営だって続けられます。
「好きこそものの上手なれ」という言葉が示すように、興味や情熱があることが、良いコンテンツを作る上での前提ではありますが、人間が最大のパフォーマンスやクオリティーを発揮するには、それだけでは不十分です。
まして天才といわれる人々が、神がかった才能や人間業(とは思えない能力を発揮する時。万物一体になって、その一挙一動に自然現象さえ味方するかの如(く奇跡の事業が成(される場合。
心と精神の深い領域にかかわる実存的衝動(動機)や哲学的な意義は大いに関係をもちます。
だから私は、YouTubeへの動画投稿はやめたし、ツイッ○ーもやめたし、Facebookもア○ブロもmixiも大嫌いです。
そういった所で何かを作ったり寄稿(する気が起きません。
まして営利企業が営む投稿サイトで こんな文章を書けば「犬猫」のキーワードや単語に反応して、文中にペットショップの広告が貼られたりします、冗談じゃありません。
「天才」「才能」「奇跡の事業」という文言に反応し、自己啓発本の広告が出たり、セミナー勧誘や宗教じみたワークショップへの案内も表示されるでしょう。
データ解析の精度やテクノロジーの進歩へ驚くと同時に、死にたくなってきますね。
「総括の準備 その2」で Internet Archiveを支援せよ! と言っているのはそのためです。
この非営利団体は「Universal Access to All Knowledge(全ての人々へ開かれた 全ての知識)」という理念を掲げて活動してます。
様々な書籍を収集し デジタル資料として整え、学習や教育、研究やアカデミズム、あらゆるニーズに応えられる人類の図書館を提供しようってわけです。
もちろん無料だし、広告も出てきません。
ウェブサイトの収集もばっちりで、Wayback Machine を使えば、過去のページや、見れなくなってしまったサイトすら見れます。
こういう所であれば、いくらでもコンテンツを提供したいし、お金だって払いたいです。
先人の積み上げた、あらゆる知識、叡智、知的財産は、全ての人々へ別け隔てなく提供されるべきであり、私のように知性溢れる大天才や、教養豊かな善男善女(が育(まれたのも 健全なネット環境あってこそです。
遺憾なく才能を発揮して大暴れするには、ネットにしろ現実社会にしろ、健やかで開かれた世界こそ理想でしょう。
「ユダヤ人だから」という理由で収容所やゲットーへ分け隔てられ、強制労働へ従事させられたり、いらなくなったらガス室へ放り込むなんて社会が、あっていいわけありません。
「犬だから、猫だから」という理由で保健所やペットショップへ分け隔てられ、値札を付けて売られたり、いらなくなったらガス室へ放り込むなんて日本が、あっていいわけありません。
僕の言っていることが、
どれほど健全で当然で誰にでもわかる話か、
おわかりいただけたでしょうか?
千年先の人類にさえ 当たり前に通じる事か、
ご理解いただけたでしょうか?
「コンテンツが一番重要」とは こういうことです。
「千年後まで残るウェブページ」とは、
このように大切な事が書かれているものです。
何ヵ国語にも翻訳され、どんな世代や地域へ出回っても、
全く問題のない正真正銘な内容でなければなりません。
2023.01.19
短く、読みやすく、簡潔に
ともかく短くする(圧縮する)
これにつきます。
この「短くする」を突き詰めていけば、読みやすさも簡潔さも自然に習得できるので、この一行で文章に関することは終わったも同然です。
短くしていく上で、どの言葉が必要か?必要じゃないのか?と、よく考えるようになり、辞書で調べる習慣がつくと扱える語彙も増え、その語彙の中から更に短く表現しようと、選び取る能力も上がります。
ともかく ひたすら「短くするぞー」「徹底的に短くするぞー」と、意識さえすれば、洗練された表現や言い回しも自然と出てくるようになるのです。
例えば下の文章を、どうすれば短くなるか 考えながら読んでみてください。
長年、左派の中で活動してきたマルクスさんだが、今は落胆を隠せない。
「私が最も期待を寄せていた仲間の一部に反ユダヤ主義が広がっていくのを見るのはたまらなかった」と話す。
反ユダヤ主義は社会に広く浸透している。それは左派の中でも同じだ。
swissinfo.chは左派に属する、あるいは左派に属していたスイスのユダヤ人や歴史家、活動家に、自分を取り巻く環境の中で反ユダヤ主義をどのように体験したかについて尋ねた。
—swissinfo.ch スイス左翼のタブーだった反ユダヤ主義は今
https://www.swissinfo.ch/jpn/culture/スイス左翼のタブーだった反ユダヤ主義は今/47828570
なれてくると、短くするアイデアや方法が閃(くようになります。
僕だったら次のように直します。
長年、左派の中で活動してきたマルクスさんだが、今は落胆を隠せない。
「私が最も期待を寄せていた仲間の一部に反ユダヤ主義が広がっていくのを見るのはたまらなかった」と話す。
反ユダヤ主義は社会に広く根付き、左派も例外ではない。
swissinfo.chは、左派に属する(あるいは属していた)スイスのユダヤ人や歴史家、活動家に、身近な環境の中で反ユダヤ主義をどのように体験したかについて尋ねた。
「あるいは左派に属していた」は、
「(あるいは属していた)」に。
「それは左派の中でも同じだ。」は、
「左派も例外ではない。」へ。
「自分を取り巻く環境の中で」は、
「身近な環境の中で」。
僅かな文字の節約でも、大量の文章だと結構な量になります。
”いかに短い表現にして文を圧縮するか”
という技芸の必要度や有用性は1000年後も同じです。
「1000年後」も短くして「千年後」に直したほうが良いでしょう。
「千年後」より「千年先」のほうが字画が少なく綺麗です。
「綺麗」も「キレイ」にしたほうが良いかもしれません。
これらをマスターし、軽やかで読みやすい文章にすれば、後世にも読まれる可能性は上がります。
..... ん~、
「これらをマスターし、」よりも
「これらを極め、」のほうが良いな。
2023.01.19
このページの完成度は92%ですが、
重要なことは書き終えているのでアップしました。
細かい項目は気が向いた時に追加していく予定です。
初版 2023.01.19
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