探求の道を歩けば本当に幸せになれるのか?




波は海に帰った 〜真我探求のすすめ〜 というサイト様の記事のリブログです。 落ち着いた言葉で語ってくださっているので、 私のアホっぽい言葉よりも説得力があるなあ(笑) この世には、いろんなタイプ、いろんな調子の言葉が必要ですね。 世界にはあなたしかいない〜大きな透明な画用紙〜 https://ameblo.jp/cohomin/entry-12771384941.html

悟り探求の終着点まで辿り着くと 「それ以前の人生と同じ、普通の生き方の中にもどるだけ」 「それ以前の自分と同じ、そのままの自分でそもそも良かった」 ということが分かる、分かってしまう、ということが云えると思います。 けれども、「それ以前と同じ」とは云っても、 やはり、完全な球体を内側からひっくり返すような、 「あり得ない」と思うほどの劇的な転換が、人生にもたらされるんですよねえ。

「探求の終わり」を迎えたことで、やはり私の人生は劇的にラクになり、 楽しくなり、思いっきり生きる勇気が得られ、くつろいでいて、幸せになっています。 だから、探求する価値は、間違いなくありましたね。 探求は、「同じ生活に戻るだけならやる意味ないじゃん」 というものでは、まったくありませんでした。

「探求の終わり」を迎える以前の私は、以下のような症状を常に抱えていました。
・体がギシギシして動きの重い錆びた機械のような体感だった
・バカにされたように感じたらすぐに怒りや傷つく感情に支配されていた
・余計なプライドがあって、自分の恥ずかしいところを隠したがった
・やりたくない仕事でもやらないと生きていけないと思っていた
・お金がなくなる不安に怯え、よく心臓がバクバクしていた
・貧乏は恥ずかしいことだと感じていた
・不幸な状態に対して負け組感を感じていた
・他人に嫉妬し、「嫌なやつ」と感じる思考にすぐ頭を支配された
・ネガティブなニュースを見ると不安になり、為政者に怒りを感じてストレスフルだった
・夢や願望を実現できないんじゃないかという不安に怯えていた
・夢を実現できないなら、自分の人生には価値が見いだせない、と思っていた
・劣等感があるせいで、自分の無知や情けなさを隠そうとしていた
などなど、まだ他にもありそうですが。 こういった症状からは、ぐーんと自由になりましたね。 体が軽く、毎日、不安もなく、未来への心配もせず、楽しく、幸せに生きています。 かつてから「やりたい」と思っていた「夢」にも、 思う存分にチャレンジしようという自信や勇気も養われました。

しかし「真理探求」や「悟り探求」と言われるものは、 成功法則、願望実現メソッド、思考の現実化メソッド、スピリチュアルメソッド、 などで語られているように、 「あなたの願望は必ず実現します!」 「あなたは好きなパラレルワールドを選択できます!」 「あなたは自分の夢がすべて叶う世界を創造できる創造主です!」 といった言葉を、保証するものでは、まったくありません。

厳密に云うなら、 「病や事故などの不幸とされる出来事も含めて、真我が起こしたい願望はすべて顕現する」 という云い方なら、「悟り」の観点から語ることもできるかと思います。 しかし、「悟り探求」においては、不可視の未来はどこまでいっても不可視である、 という理解が落ちるので、やはり「未来」に関する何らの断言もできない、 ということは分かってしまうと思います。

この肉体(自我)が望む願望や夢は、実現する保証なんてどこにもありません。 そして、「実現しようがどうなろうが、どうでもいい」 と思うことができる状態になる、執着が剥がれ落ちている状態になっているのが、 「探求の終わり」を迎えた人の精神である、ということができるかと思います。

そして、「どうでもいい」からこそ、思いっきりチャレンジできるんですよね。 楽天的に、思う存分、人生を開拓しようとする自分になれる。

やはり、ずいぶん幸せになったなあ、ラクに、楽しくなったなあと思いますね。 だから「探求の道」を歩む価値は、おおいにある、と思います。 私はね。

—2022.10.28 新緑めぐる




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