お金とのチキンレースと、未来に備えない話 〜賭けのチップを張れるのは自分の人生だけ〜
私は大学出て一年そこそこでフリーランスとして独立して働きはじめました。 しばらくはガツガツと仕事をしていたので、同年代の勤め人よりは稼いでいました。 その後、稼げない分野にシフトして、みるみる貯金が減っていきました。 で、「もう、数日後に払う必要のある家賃や光熱費すらもない」 といった状況になることが、しょっちゅうありました。(びんぼ〜) ところがですね、その度に、なんか意味不明な経緯でお金が入ってくるんですよ(笑)
例えば大震災のあった時、 私は自分の生活費もままならない状況であるにも関わらず、 「自分はたいして被災していないのだから、寄付をせねば! 助ける側だ!」 という思いを抱き、おおいに心を揺さぶられていました。 今となってみると、「まずは自分の生活の面倒をちゃんと見られる人間になれよ」 「それもできないような人間が他人を助けようとしても溺れるだけだ」 と思うので、当時は精神的にまだまだ自立&自律が成ってなかったなと思いますが。
まあとにかく、そんな「自分もなにかしなきゃ」という話を、 当時お世話になっていたIT企業の社長さんに話したんですね。すると、、、 「よしっ、わかった! とにかくお前は生きろ!! 口座に金入れてやるから!!」 と言って、なぜか突然、私の口座にしばらくは生きられそうな金額を振り込んでくれたのです。 「なんでやねん!!」と心の中で激しくツッコミました(笑) 「え? え? どういうこと? 社長、私は被災者じゃないですよ?」 「私に寄付してどうするんですか??」と言うも、 「いいから、いいから、黙って取っとけ。とにかくお前は生きろ!」 と言われました。 この時、私は自分が光熱費もやばい状態などという背景はまったく語っていなかったのです。 自分のことどころではなく、震災に心を揺さぶられていましたから。 それなのに、まるでこちらの懐事情をすっかり見透かしているかのような言葉(笑) しかも、それ以前に話していた内容とは、まったく脈絡が繋がっていない。 なんで私にお金をくれるという流れになるんだよ(笑笑笑) しかも社長さん、「いいから、とにかく生きろ」としか、理由を言わない(笑)
今にして思えば、この社長さんの謎の行動も、宇宙の源からの自動運転という感じで、 社長が私を生かすというよりも、「この世界が私を生かす」 といってよいような摂理だったんだなあ、と思っているのですが、 当時はとにかく「なんでやねん!! 意味不明すぎてウケる(笑笑笑)」と思いました。
今は、「生かされるのに、意味や理由や脈絡などいらない」と思いますけどね。 社長さんの「いいから、お前は生きろ!」というのは、 この宇宙の源からの直々の伝言だったんだな、なんて思っていますけどね(笑) なんでもいいし、どうでもいいから、とにかく生きとけ、と(笑)
ちなみにこの社長さんは、まるでパトロンのように、 本業で食えない時代の私に仕事を与えてくれて、応援してくれていました。 私の命を生きながらえさせるための役割を担ってくださった方だなあと思いますが、 それにしても、理由もなく「生きろ」と言われてお金を貰うのは面白い体験でした(笑)
で、こんな感じで、私は頭が悪いので(笑)いっこうに懲りることなく、 「あと数日生きられるくらいのお金しか手元にない」という状態に、 何度でも陥りました(笑) しかし、その度に、意味不明な理由でお金がどこからともなく入ってきました。 例えば、「新緑さんにはお世話になったので、◯◯円上乗せしておきました〜」 と、仕事の対価が勝手に上乗せされて入金されたり、 (額面操作する権限などないポジションの人のはずだし、お世話もしてないのに・笑) あるいは、なんの連絡もなく、なぜか支払額が勝手にどどんとアップされていたり。
で、ある時点から、自分でも気づきはじめたのです。 「さては私、お金とのチキンレースを深層意識では楽しんでるな?」ということに(笑)
お金が無くなってくると、次はどんな不可思議な方法で、意味不明に、脈絡もなく、 得体の知れないところから「とにかく生きろ!」という意図のお金が湧いてくるのかな? という現象を、自分の意識は、体験として楽しんでいるんだな〜と。 いつも、お金が底をついてくると心臓がバクバクして怖くなってくるのですが、 (冷や汗だらだら、頭抱えて、希死念慮すら発動しました) 一方で、「来るぞ来るぞ、また何か来るぞ」「大丈夫、切り抜けてやるぞ」と、 自分の生活や命のかかった賭け、チキンレースに勝つのを、楽しんでいたのだなと思います。
最近の事例では、コロナ給付金が、突如湧いてきて自分を生かしたお金となりました。 探求の終着に近づいた2020年は、もはや少しでも嫌だと感じる仕事はいっさいしないと、 心に決め、すべての仕事を辞めていくようにしていました。 さらに、海外に数年住む予定だった仕事が、コロナのために白紙撤回になりました。 そんな訳で、ほぼ無職の状態だったのですが、 今度は「コロナによる世界規模の情勢変化」という巨大なものが動くことによって、 国からお金をいただけて生かされる、という事態になったのです。
その後は、以前にも書きましたが、家族の突然死という予想もしなかった出来事によって、 また一年くらいなら暮らしていけそうなお金が入ってきました。
上記のふたつは、これまでの体験の中でもビックリ度や意外性が大きいです。 それ故に、「次はもっとすごいのが?」なんて思ってしまっているのが、今です(笑)
私は結婚していますが、夫に養ってもらっている状態ではありません。 生活費は折半で出し合っており、扶養にも入っていないです。 夫は貯蓄や投資が趣味な人で、相当な額の貯蓄があるそうですが(億り人)、 身内が病気で生活保護を受けているため、 「自分が死んだら遺産はそっちに渡していいか?」と言われており、 「いいよー、遺言書いておいてね〜」と言ってあるので、 夫が死亡するようなことがあっても、私には遺産は入りません。
そんな訳で、完全に独立会計で、相変わらず、未来設計にかかるような資金は、 まったく持っていないという状態です(笑)
こんな状態の私ですが、 未来に備えて現実的な蓄財計画を立てるようなことは 一切しません(笑)
自分が「生きられる状態になる」ということに、 理由も、脈絡も、意味も、過程に関する計略も、なにもいらないということが、 これまでの人生経験から分かっている、と感じているからです。
そして、意味不明な経路から「必要なだけの豊かさ」がやってくる様子を、 観察するのが楽しみだからです(笑) ハラハラドキドキしますけどね(笑)
これね〜、ごくごく一般的な感性から見たら アホ だと呆れる人も多々でしょうね。 バカバカしい妄想に囚われ、なにか成功法則のようなものを信じ込み、洗脳されて、 「社会的でまとも」と言える考え方ができなくなっている人に見えるかもしれません。
それもそのはず。 この、私が「分かっている」と感じている事や、その感覚や確信というものは、 決して他の人と共有することのできないものだからです。 自分の人生に起きて、自分しか実際に体験した者は存在しない訳ですから。 私の内部にしか存在しない、体験由来の体感なんですよね。 だから、「他の人の人生にもこの考えや方法が適用できる」と、言うことはできません。 少なくとも、保証はできないものです。
しかし、そもそもですね、 誰がどのような「考え」「観念」「信じていること」を持っているとしても、 その「考え」や「観念」や「信じていること」は、 自分の人生以外では、検証および実証することはできないのですよね。
すべての人にとって 自分が「賭けのチップ」を張ることができる賭場は、 「自分の人生」以外にはないのです。
どんな考えを持ってもよい。 どんな法則や教義や説を信じてもよい。 しかし、それが正解かどうかを検証し、実証するための実験は、 自分の人生という実験場でしか行えない。 だから、他人の言説はつくづくどうでもいいし、 自分の信じるところを、自分の人生を使って実験実証するという以外ないんですね。 そもそも、人生とは、そうでしかあり得ない、という構造のものでもあると思っています。
面白いなあと思います、人生博打(笑)
—2022.11.20 新緑めぐる