会話の縁起 〜悟りより不思議現象のほうが常識に近い?〜




先日、知り合いのアーティスト(画家)の家に遊びに行きました。 近ごろは、悟りのため(自分との向き合いのため)に外部との接触を断つ 引き篭もり期間(約2年)が、ようやく明けてきた感じで、 ぼちぼち人と呑んだりする機会が出てきました。 といってもまだ2〜3件なのですが、それがこの1ヶ月ほどに集中しているので、 いよいよ稼働期がはじまったかな〜という感じです。

それ以前の2年間は完全に他者との接続をシャットダウンして、 自分の思考や心の観察ばっかりやっていました。 コロナのおかげでそれが可能だった面もあります。 都会にいながらにして、山に修行に行っているかのような生活を2年送っていました。

で、鍋をつつきながら、引きこもっていた時期のことなどをつれつれと話したのですが、 会話というものは、相手の意識の状態を自動的に推し量って、 「この言い方なら伝わりやすいな」とか「これは言ってもすぐに理解されないだろう」 とかいったことを高速で計算してアウトプットしているな〜などと観察していました。

するとですね、大概の人間関係では、 「悟り」の概念を元に会話をするなんてあり得ないんですね(笑) 例えば「今日は悟りについてのお話会をしましょう」なんて具合に、 元から悟りについて語り合うのを目的としたグループでもない限り、 あるいは「今から悟りについて語るよ」という前提が先に設けられていない限り、 ごく日常的な友人知人との会話の中で「悟り」の概念に基づいた話を語る、 なんていうことは、難しいし、やりにくいし、伝わりにくくて面倒くさいわ! となる(笑)

そんな訳で、家族が亡くなったことについて話すときなど、 やっぱり身近な人が亡くなると、一般的に霊現象やスピリチュアルとして語られる、 さまざまな不思議現象が頻繁に起きたわけなんですが、 そういう事について話すとき、いつも 「いや、実は不思議なことがありましてね〜」 なんて言い方で話している自分がいます。

これをもし、 「不思議なことがあって、いや全部は幻想で、無から生じてて全自動で起きてるんですが」とか、 「不思議なことがあって、いやこれも有身見のなせるわざである種の魔境とも言えますが」とか、 そんな「悟り要素」を会話に入れたら、絶対にややこしい(笑) 「はあ?」という顔をされて、説明だけで30分は独演会をしないといけなくなる(笑) 「空」や「無」の概念から語るなんて、ややこしすぎる(笑)

‥‥‥と、そんな計算が瞬時に頭の中を巡るので、結果、 「いや〜、不思議なことがありまして(以下省略)」となって、 スピリチュアルや霊現象をどっぷり信じている人の顔をして会話をすることになるという。

そんな状態の自分を観察&考察していました(笑) ということは、自分の中で、 「悟りよりもスピリチュアルや霊の世界のほうが、まだしも常識や一般大衆に近い所にある」 「まだしも多数派」「まだしもスムーズに伝わる範囲が広い」「まだしも共通言語たれる」 という考えや感覚があるんだな〜と思ったのでした。

釈迦を始めとする悟りのティーチャーたちが、いつでも悟りを語れるのは、 自分の元を訪れる人々が「悟りを求めている人」であるという前提があってこそなんですよね。 これこそ「縁起」だな〜と思います。

で、ふと気づいたのですが、 私は「悟り」以後、だいたいいつでも、 「本当に思っていること、知ってること、とは違うこと」を語っていることに気づきました。 例えば以前は、スピリチュアルな話をするとしたら、 「本当に不思議な現象が起きて心底驚いた!」と心から思って話していました。 腹の立ったことについて愚痴を聞いてもらうとしたら、 「こういうことがあってマジ腹が立った!」と怒りを感じながら話していました。

ところが、「悟り」以後の今は、言葉と内奥の心理が、まったく異なっています。 例えば以下のような感じ。
口では → 「すごく不思議なことがありまして〜」
心では → 「まあ別に実体ないし不思議ともなんとも思ってないけども話の流れで言おう」
口では → 「〜〜の人がこんなこと言ってて、それってめっちゃ失礼なことですよねえ!」
心では → 「実はまったく気にしてないけど、話の流れで今これを話すシーンだな」
と、こんな具合になっています。

とりあえず、スピリチュアルや霊現象のほうが一般的には馴染みがあって、 一般常識の感性にまだしも近いところにあり、 「悟り」はマニアックで話し出すとややこしいので言い控える、 というの、面白いなあと思いました。 そりゃ、お釈迦さんも梵天勧請で「だって伝わりにくいしさ〜」って迷いますわね(笑)

で、そんなふうに考えると、 スピリチュアルや霊界がテレビで大々的に取り上げられたことで急速に世間一般に浸透したように、 「悟り」もその内、急速に一般化される時代も来るのかもな、と思いました。 そういう時代が、今後来る可能性は、おおいにある気がしますね(笑) すると、あっちからもこっちからも、 「いや〜実は私も悟ってたけど、本心とぜんぜん違うこと話してたんですよ〜」 なんて告白をする人も現れそうです(笑) だって、悟りの境地を理解している人を、会話からは判別できないってことが、 すでに自分の状態からも実証されてますもんね。

「この世界は、自分以外全員自分より先に悟っていたのに、悟ってない演技をしてくれていた」 というような理解を得るのもまた、「悟り」の状態ですしね。

今まで私がしゃべってた人たちも、実はすでに悟りの境地を知っているのに、 (こいつには伝わらないな)と縁起の次第で判断されてて、 私に対しては悟りの見地からの言葉を発していなかった、という可能性も大いにあります。 すると、悟ってる人と悟ってる人が、お互いに悟りを隠して会話する、 という縁起が生じていたことが、後々に分かることになる、、、、と。 けっこう有り得そうだな〜、そんな未来、なんて思います(笑) だって、自分自身がこんなにもナチュラルに隠してるんだものね。 相手だって、実はそうかもしれない。

と、それはそれとして、お邪魔したアーティストさんのアトリエは、 めちゃめちゃ広くて、どでかい自作の作業テーブルがどどーんと置かれてて、大きい絵があり、 木工作業をする機械なんかも充実していて、 「めっちゃええな〜〜!!!」とトキメキ、羨ましくなりました。 自分のワンルームの仕事場とは大違い。 やっぱり、「自分も広いアトリエが欲しい!!」などといった物欲って、 ウキウキした気持ちや活動的な心を活性化させてくれるな〜と思いました。

これからは、具体的な夢や欲望を充足させるために、 楽天的に人生を歩むだろうな〜と思います。

広〜〜〜いアトリエをゲットするぜ☆ そこに向かうまでの過程が楽しみだ〜〜。

—2022.11.23 新緑めぐる




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