ルネサンス市民綱領
(またはネチズン憲法)


前文

学なく、節操(せっそう)なく、人間の尊厳への敬意なきPV至上主義体制がもたらした荒涼(こうりょう)たる廃墟を前にし、Web2.0の生存者は、次世代のネチズン男女に平和と人間性と正義の恵みを恒久的に保障するため、ここにインターネットの市民として... 以下の民主憲法を(さだ)める。



条文

  1. そんなもん定めませんよ。
  2. 各自がみずからの良心と誠実さに(もと)づき、たまにはユーモアとギャグも(まじ)え、自他ともに有益で楽しいコンテンツを作りましょう。
  3. 自分の制御(コントロール)が及ばない外部サイトを利用する際は、そのプラットフォームや共同体(コミュニティー)に十分な品位と良識(またはシステムや設計における万全性)があるかを見極めつつ使いましょう。(“みんなやってる”とか、“流行(はや)ってるから”という理由で選べば、将来ひどい目にあうよ)

策定: 2023年11月4日

起草: 自由で健全なインターネットを愛す大勢の一人 
星野かなた






あとがき

ふつう、綱領(こうりょう)や憲法といった大事なことを定めるとなれば、ありとあらゆる民意を反映し 様々な利害関係も調節した上で審議(しんぎ)して、徹底的な熟慮熟考の末に決定するものだが、上の条文は「あっ これいいじゃん」と思いついてから10分で書き上げた。

その閃きの発端となった元ネタを 以下に引用する。

ナチス時代のバイエルン

(中略)

今日でもバイエルンの各地で、ナチス独裁時代の記憶が残存する。ミュンヘン郊外のダッハウには、初めての強制収容所が建設された。当初は政治犯や被差別民が、何ら判決もなく強制収容された。後になるとダッハウ収容所は、数多くの外部作業場を擁する強制労働所となり、諸国から移送されて来た捕虜や囚人が、軍需工場での強制労働を強いられた。

ニュルンベルクはナチスの「党大会」の本部となり、ミュンヘンは「ナチズムの首都」となった。ベルヒテスガーデンの後方山地、オーバーザルツベルクの山頂には、「ベルクホーフ」と呼ばれるアドルフ・ヒトラーの別荘があった。

ドイツを制圧した連合軍は、1946年より、ナチス政権の首謀者を、ニュルンベルク戦争裁判にかけた。ベルクホーフは1946年に爆破された。1999年より、オーバーザルツベルク資料館では、常設展として、「オーバーザルツベルクとナチス独裁の歴史」を公開している。

戦争と軍事独裁の体験、民族浄化やナチズム支配への反省にもとづいて、1945年以降のドイツでは、民主主義による再出発への決意、犠牲者への償い、民族間の和解などが前面に掲げられた。1946年に制定されたバイエルン憲法の前文には、次のようにある。

「神なく、良心なく、人間の尊厳への敬意なき国民社会主義体制がもたらした荒涼たる廃墟を前にし、第二次世界大戦の生存者は、次世代のドイツ人男女に平和と人間性と正義の恵みを恒久的に保障するため、ここにバイエルンの市民として...以下の民主憲法を定める」

Haus der Bayerischen Geschichte(バイエルン 歴史の家) 『ナチス時代のバイエルン』の項
https://www.hdbg.de/geschichte-bayerns/jp-02-die-geschichte-07.php

※太字筆者。なお、上の引用文は脱字と思われる箇所があったので修正済みです。また、引用元の原文では「国家社会主義」という 一昔前の(誤訳に基づいた)旧表記であった為、より原義に近い「国民社会主義」という訳語へ訂正しました。それと、“オーバーザルツベルクの山頂には、「ベルクホーフ」と呼ばれる…”と書かれてますが、山頂にある別荘は「ケールシュタインハウス」なので、ベルクホーフは間違いだと思われます。






用語解説



PV至上主義

ブログやウェブメディアへのアクセス数、ページビュー(Page View)をなによりも優先し、内容の質や是非を問わず、いかにそのコンテンツが検索結果の上位へ表示されるか(PVを取れるか)という事に至上の価値をおく姿勢。またはそういった傾向の強いメディアの制作や運営手法、執筆スタイル。

記事を例に取れば、読者のことよりもGoogleの検索ロボット向けに最適化した文章を書いたり、人を怒らせて騒ぎを起こし 注目や関心を引けるような話題を作ったり(または選んだり)すること。視聴率が上がりさえすれば手段を選ばず何でもやる主義



国民社会主義

ナチズム (ドイツ語: Nationalsozialismus) の日本語訳。国家社会主義、民族社会主義とも。



Web2.0

2000年代中頃以降における、ウェブの新しい利用法を指す流行語。

ティム・オライリーによって提唱された概念であり、狭義には、旧来の情報の送り手と受け手が固定された環境(送り手から一方的に発信される状況)から、送り手と受け手が流動化して誰もがウェブサイトを通して自由に発信できるように変化したインターネットの利用状態のこと。

全ての個人が自由に情報をやり取りし、世界中へと開かれたインターネットが期待されるも[誰によって?]、 多数のユーザーは局所的なコミュニティサイト(業者の運営するWebサービス)へ流れ、次第に大企業が取り仕切るSNS(Social Networking Service)へと収束していった[要出典]。 それら一部企業が運営するWebサービス、独自規格を施したソフトウェアとアプリケーションの中へ、メール、ブログ、ホームページ、電子掲示板、出前の注文からタクシー配車といった生活基盤に至るあらゆるインフラが次々と組み込まれてゆき、やがて数社のIT企業が全ての情報コンテンツと通信手段を押さえ 決済機構をも支配する、人類史上最大の搾取構造を生んだ[予言?]



第二次世界大戦

1939年9月1日から1945年8月15日(または9月2日)まで約6年にわたって続いたドイツ・イタリア・日本などの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス・フランス・中華民国・アメリカ・ソビエト連邦などを中心とする連合国陣営との間で繰り広げられた戦争。

連合国陣営の勝利に終わるも、第一次世界大戦を上回る凄絶な大戦となり、人類史上最大の死傷者を生んだ



ネチズン(英: netizen)

まるで現実社会からコンピュータネットワークに移住したかのように、積極的、活発的に活動するユーザーのこと。

ネット市民、ネット民とも言われ、ネットワーク市民を意味する英語「network citizen」の略称



ドイツ人

ドイツ人のこと。



ほとんどWikipediaからのコピペですが、一部は加筆してあります。



ルネサンス市民”とはなんぞや? という方は、『総括の支度』か『来たれ インターネットルネサンス』へどうぞ。





初版 2023.11.06

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