2023.01.27 07:43
2023.01.30現在の「星野かなたのホームページ」
月末報告120にて「殺処分廃止計画 活動日誌」は いったん総括し、
この日誌の成功点や反省点を洗い出し、総まとめをする予定でした。
そして「おまえら献血いこうぜ!(以下 おま献)」のサイトと同じように、ここも独立したコンテンツとして単立化し、更新の終了宣言も行う手筈でしたが、他のコンテンツと多数連動しているので、ここだけを性急にユニット化するには無理がありました。
そもそも、活動日誌より先に やるべきことができてしまったのです。
募金ページの企画はすでに終了しているのに、未だトップページにがあってはまずいので、先にそっちをなんとかしなければなりません。
これは先日、募金ページの上部に書いた お知らせです。
こうして募金ページを記念碑化し、更新の終了宣言を行ったところ、またまた問題が発生。
の売上は、この募金ページへ積み立てる仕組みになっていますから、募金ページを止める場合は、そっちも同じように なんとかしなくてはなりません。
するとどうでしょう、またしても問題発生です。
ダウンロードショップを止めれば、の計画表にある「ステップ3 資金集め」の内容も変更する必要が生じます。
そこには「※お知らせ※ 現在ダウンロードショップで作品や本やコンテンツを公開していただける方を募集中です。」と書いてあるからです。
しかも、そのページの「- 現在の活動 -」には
- チャリティーオークション
- ホームページでの作品やコンテンツ販売
- 毎月5000円以上 活動費の積み立て
とあります。 もはや 1. 2. 3. 全て問題だらけ!
なので、この活動日誌を総括するためには、殺処分廃止計画に関する他のすべても同時多発的にまとめる必要があります。
これほど複雑に絡み合った各コンテンツを一挙にまとめるにはどうしたらよいか?
そもそもコンテンツが増えすぎて混沌(になったので、ウェブサイトをまとめあげて「総括」する必要が出てきたわけです。
現在、その総括を実現するために、各コンテンツを単立(化し、それぞれ独立させようと頑張ってます。
ユニット化の第一弾として おま献 のまとめは無事に完了したので、その成功例をモデルケースに、この日誌も なんとかなると思っていましたが、どうやら殺処分廃止計画に関するものは 一気にまとめる必要がありそうです。
「活動日誌の総括」はいったん諦め、とりあえず「中括」をします。
せっかくですから 総括の説明も含めてウィキペディアより引用。
総括(そうかつ)とは、物事を一つにまとめ、締めくくること。
事業の途中で行う場合、中間総括(中括)と呼ぶ。
革新政党、労働組合、学生組織などが、一つの闘争を行った段階あるいは大会の時期などに、それまでの活動をしめくくる意味で成果や欠点を明確にさせること。一種の左翼用語で、運動に欠かせないものとなっている。
- 上記のように左翼用語と思われがちだが、実際には保守、中道政党や企業、団体などでも活動を締め括り評価や改善点を明らかにする行為を指す用語として定着している。より現代風に言えばPDCAサイクルのCとAに該当する部分と言える。
- 本来は上記の意味だが、1971年から1972年の連合赤軍の山岳ベース事件では「死の制裁」として使用された。
—Wikipedia 「総括」
https://ja.wikipedia.org/wiki/総括
それでは、中括をはじめます。
まずは、これまでの要約。
- 場当たり的な活動方針のせいでサイトのコンテンツが混沌(。 → まとめよう。
- このウェブサイトの方向性や殺処分廃止計画の方針をわかりやすくして新たに定めよう。
- これまでの経緯や活動成果を説明し、今後の方針や何をやっていくか表明する物を作ろう。
- 膨大なHTMLファイルをどういう形式でアーカイブ(保管)するか事細かに決めていこう。
- 何世代も1次資料として引用されるような立派なWebページを作ろう。
- いつでもどこからでもアクセスできて誰でも使えるように統一したルールや形式も考えよう。
- Internet Archive を支援せよ!
- 後世の人類にバカ扱いされるか尊敬されるかは この瞬間の我々次第。
- Wikipediaや健全なインターネットは超大事。そして殺処分の廃止こそ重大な遺産!
- 内容(コンテンツ)が一番重要!
- 千年先まで残るウェブページの資質は"良い"コンテンツであること。
- 良いコンテンツとは、何ヵ国語に翻訳されてどんな世代や地域へ出回ろうと全く問題のない内容。
複雑に絡み合ったコンテンツ群については、
今さら細部を直して更新するというのは現実的ではありません。
殺処分廃止計画の歴史は、まずという私の宣誓/誓願から全てが始まってます。
その「殺処分をなくして見せる」という決意からスタートし、自分にできる事を模索していくためにの計画表が作られました。
それからやや(当時はデジタルコンテンツ売り場)と、このが作られていきます。
やがてやなども始まり、本格的にコンテンツの量産体制が動き出しました。
更新履歴の初めを見てみると、このサイトがいかに場当たり的に作られていったのかが垣間見えます。
自分でも正確な日付がわからず 2011年以前は??ばかり…
に書かれている私の宣誓/誓願と、「殺処分を無くそうと決意した理由」は、当時の正直な気持ちをそのまま書いたもので、今も変わりはありません。
しかし、あらためて読んでみると、あのページは色々と問題だらけです。
改行の使い方は変で読みづらいし、いきなり自殺の経験を語り始めるのも、ちょっとなぁ…と思います(おかげで僕は炭酸ガスで殺される犬猫の苦しみがよくわかる((共感してしまう))のですが)。
それと、追伸に書かれている「私は慈悲と博愛に溢れた人格者でも、聖人君子でもありません」は大問題です。
今や慈悲と博愛に溢れた人格者だし、聖人君子と言っても過言ではないので一刻も早く訂正すべきですが、一度書いた事を消すのはポリシーに反しますし 文言を削除するわけにはいきません。
かといって追伸の追伸を入れて「今は聖人君子です」も、それはそれで文章構成がめちゃくちゃになります。
よって、今現在営(まれている殺処分廃止計画に関するコンテンツは、全て記念碑化するのが妥当と結論しました。
遡(って細かい部分を修正したりは一切せず、誤字脱字も含め そのまま保存します。
付け加えるとしても小さく注釈を入れる程度にとどめ、当時の形はなるべく残す事にしました。
ですが、歴史検証にも耐えうる資料価値のあるものにしたいので、外部サイトに言及してリンクを貼っていたり動画を引っ張っているページで視聴不能になっている箇所は修正予定。
「総括の準備 その3」でも触れましたが、このサイトは千年先にまで残るような良いコンテンツにしたいと考えてます。
全てを記念碑化するに当たり、「殺処分廃止計画 活動記念館」という新しいページを作り、
の6つは そこへ統合します。
活動記念館の主なコンセプトは…
「後世の人々へ、この時代 この国で行われた大量虐殺(犯罪)を告発する」
です。
私は保健所や動物愛護センターで行われている犬猫の殺処分はジェノサイドだと思っています。
れっきとした国家ぐるみの組織犯罪として、後世の人々や各国の有識者から轟々の非難を浴びるべき恥部です。
処分機のボタンを押す保健所の職員はアウシュヴィッツ収容所のナチス親衛隊みたいなものですし、殺されると知りつつ犬猫を連れていく人はアイヒマンでしょう。
大多数の一般人は殺処分と無縁に過ごしてるとは思いますが、それでもテレビや新聞やネットのニュースで「殺処分」という単語くらい聞いたことはあると思います。
漠然と殺処分を知りつつも見て見ぬふりをする人たちは1940年代のドイツそのものです。
例えば水晶の夜という、ユダヤ人が何十人も殺されてシナゴーグや居住地が焼かれた事件がありましたが、あんなのは官民一体となった「見て見ぬふり」がない限り不可能です。
暴動中、ユダヤ人は殴られたり、辱められたりした。運の悪い者はそのまま殴り殺された。少なくとも96人のユダヤ人が殺害されている。『我が闘争』を朗読させられたり、『ホルスト・ヴェッセルの歌』を暗誦できるまで歌わされた者、果ては強姦されたユダヤ人女性もいた。
大多数の市民の反応は名目上の目的よりも、むしろその迫害ややり方に対して沈黙した否認という態度が示された。
(中略)
ハイドリヒや保安警察ゲシュタポ局局長ハインリヒ・ミュラーの電報での「邪魔をしないように」との命令に基づき、警察は暴動を全く取り締まらなかった。
さらに消防隊も炎上するシナゴーグを見ているだけであり、消火活動をするのは非ユダヤ人の建物に延焼する恐れがある時だけだった。
その最中でも、警察は多数の自殺や強姦を記録していた。
割られて路上に散らばったショーウィンドウの破片が月明かりに照らされて水晶のように輝いていたことから水晶の夜(クリスタルナハト)と呼ばれた。
実際にはガラス以外にも、殺害されたユダヤ人のおびただしい血や遺体、壊された建造物の瓦礫等で、現場は悲惨なものだったという。
— Wikipedia 「水晶の夜」
https://ja.wikipedia.org/wiki/水晶の夜
保健所や愛護センターで引取りを待つ犬や猫がいるにも関わらず、日本では子犬や子猫を生体展示販売するペットショップというものが、未だに成立しています。
こんな恐ろしい現象が間近にあっても、「かわいい~」といって、ショーウィンドウを眺める者や買う客が後を絶たない世界が、今のこの国、この社会です。
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=Mn1zeJMT1mU&t=75s
殺処分のことを知ってもらおうと、そういった店を撮影し、キャプションを入れた動画をアップロードして問題提起しましたが、リアクションは賛否両論でした。
それらを見た人たちの反応やコメントもドキュメントや記録として残そうと考えています。
ナチスに熱狂していた人達だって、自分たちのやっていることが どういう結果になるかなんて想像せず、罪悪感だって微塵もなかった事でしょう。
私の時代の人達も、たいがいそんな連中ばかりです。その子犬や子猫がどこから来ているか?もし飼えなくなったら? と考えてる人は、果たしてどの程度いるのやら…。
そういえばYouTubeの概要欄には十年以上「犬や猫の生体販売をしているペットショップがありましたら動画を撮ってお送りください」と載せていましたが、1人を除き 誰も提供者は現れませんでした。
全国のペットショップの店ごとに、こういう字幕の入った動画がアップされたのなら、今年中にでも生体展示販売も殺処分も同時になくなりそうなムーブメントが起こせそうなものですが、ここまで無関心を極められたのでは、もう私一人では どうしようもありません。
チャンネル登録者は1400人しかいないし、動画の殆どは客寄せ用の普通な動画ばかりではありますが、それを差し引いても「殺処分の事など誰も気にしない」という現実がよくわかります。
下の引用は「ペット問題が日本ではジャーナリズムとして成立しない」という理由で、取材を引退した元ジャーナリストの告白です。
前略 突然ではありますが、このたびジャーナリストの引退を決意いたしましたので、ここにご報告申し上げます。
メインサイトおよび当ブログ開設からまだ一年足らずではありますが、日々刻々と変化する政治経済や、流行りの原発問題・電力会社批判などとは違い、多くの国民生活に直接影響のない「ペット問題」が、日本ではジャーナリズムとして成立しないことを早々に思い知らされました。
その前提で、取材活動を私費で賄い続けることに意義を見出せなくなり、また、一人の社会人(納税義務者)としての自身の在り方を鑑み、さらには動物愛護界への失望感も相まって、活動を継続するのは困難という結論に至りました。
— 山下浩 2012年4月30日,さぽろぐブログ
http://yamashita.sapolog.com/e360104.html
先日、瓜生哲也さんへ20万円の賞金を進呈しましたが、もしも彼が辞退した場合は山下浩(さんに送る予定でした。殺処分の生々しい虐殺を映像で記録し YouTubeへ上げてくださった素晴らしい方です。これらの動画を私財を投じて撮影して多くの人へ見れるようにした その功労、功績は計り知れません。きっと多くの人へ殺処分の残酷さが伝わったと思いますし、私もその一人です。 山下さんは活動家ではなく、あくまで「ジャーナリスト」として公平中立な姿勢をとり、その理念を貫き通していました。 一人の人間として ここに敬意と感謝の念を表します。本当にありがとうございました。
近頃、もっと教養を身につけるために、歴史の事や偉人の話などをよく調べているのですが、その影響で戦争やヨーロッパの話は特に勉強します。
NHKの「映像の世紀」という作品は、小さい頃に社会科の授業で見せられて非常に印象に残っているのですが、最近「新・映像の世紀」というものが出ている事を知りました。
さっそく一本見ましたが、相変わらず とても勉強になる作品で、「良く出来てるなぁ」と 再び感心しているところです。
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=Kda9jfhuJ_M
「いいや、あなた達は知っていた」
このフレーズ、すごいインパクト。
私も言ってやりたいですよ、これ!
殺処分や生体展示販売がなくなった何百年も先の世界を少し想像してみたのですが… その時代の人に「不要ペット回収車」や「ドリームボックス」の話を信じてもらえるでしょうか?
13年前に活動を始めたばかりの時期(殺処分数が年間17万5千頭の時代!)の私さえ「不要ペット回収車」には ぶったまげました。もはや どっちが畜生なのか わかったもんじゃありません。
ナチスもユダヤ人を効率よく殺すのに「ガストラック」作りましたからね。射殺だと兵士に精神的な負担がかかるので、ガス殺できる車が考案されたそうです。(ドリームボックスは二酸化炭素で殺すが、ガストラックは一酸化炭素らしい)
やはり殺処分は国家犯罪。
食料として食べるわけでもない、愛玩用(つまり可愛(がる玩具()として産ませたり増やしたりした動物に対する非人道的行為。しかも国民もグルになって黙認している大規模な虐殺。実は「ジェノサイド」という言葉は出来上がってまだ100年たっておらず、誕生の経緯も第二次大戦中にチャーチルが「われわれは名前の無い犯罪に直面している」と言ったBBCの放送演説がきっかけです。
なお、ジェノサイドの定義は「国家/民族/人種集団を計画的に破壊すること」なので、動物には適応不可。
よって、私は再び「名前の無い犯罪に直面している」と宣言しなくてはいけません。
そう考えると、新しく制作する「活動記念館」も意義深いものに感じられます。
長年書き続けた この日誌も、そこへ収まるのであればぴったりでしょう。
不要ペット回収車の写真も、ペットショップの動画もありますから。
総括が済んでサイトがリニューアルされると、
現在のトップページとはガラリと様子が変わります。
実は新しいトップページは ほぼ完成しており、あとはコンテンツのユニット化が終わりさえすれば、それらをトップページへ はめ込むだけ。
隠しページに溜め込んだコンテンツ、分家のドメイン(hosikana.com)に分けた作品、外部サイトで書き散らかした文章や動画も含め、一覧で見れるデザインです。
もう二度とサイトが混沌(とならぬように フォルダの仕分けルール、ファイルの名付け方、外部サイトとの関わり方まで 細かに決めてあります。
それらは「総括の準備 その3」の後半にまとめてますが、細かいところは書く暇がなかったので、現時点ではレジュメのみ。
「その3」に書き記した「内容(コンテンツ)が一番重要!」は、大切なポイントを抑えた秀逸な章です。
その文章のキーワードでもある「健全なインターネット」と「良いコンテンツ」を軸に、私は今後も活動します。
殺処分問題の啓発にせよ、自分の趣味的な作品づくりやコンテンツ制作にせよ、「健全なネット環境」なくして、これらは実行不能です。
ネットなど無くとも生きてはいけるし、活動も出来ますが、小学生の頃からITに親しみ、高校でも情報ビジネス科を選択してきた身としては、このInternet(で戦うことが最善であり、最前戦なのは間違いありません。
リニューアルが完了し、ウェブサイトが生まれ変わったら、次はアーカイブを行う手筈です。
このサイト全てのHTML、テキスト、画像、音声、動画、ひとつのURLも漏らさず Wayback Machine に収集させ、私が死のうとサイト閉鎖しようと、誰でも閲覧できるように整えます。
今は有料のレンタルサーバーへ頼っている状況ですが、Blogger や Google Sites なども併用してバックアップすれば、広告なしで恒久的に見れるWebページも作れるかもしれません。
グーグルは15GBの容量までは無料提供しているので、テキストがメインの私のサイトであれば 8割以上は残せそうです。
Google様と言えど単なる営利企業なので、BloggerだろうとYouTubeだろうと サービスはいつ終了するかはわかりません。
特に最近はYouTubeのクソッタレは酷くなるばかりで、ここへいくら動画を上げても、すぐ見れなくなるでしょう。
上にある「新・映像の世紀」の1シーンを上げてみましたが、アップして5秒で規制かかりましたからね。
たった3分の動画でさえ、バックで流れてる「パリは燃えているか♪」がなんたら~、著作権がどうたら~、とほざきやがります。
コンビニのイートインスペースでジュース飲んでるだけでも店内の音楽に反応して難癖つけてくるし、ハエトリグモがアップで映っただけで「暴力的で生々しいコンテンツ」とか言って、事前通告なしの削除です。
それに比べ、Internet Archive は、
新・映像の世紀は全て見れます。
社会科の授業で昔みた映像の世紀まで視聴でき、
ダウンロードさえ可能です。(しかも 全話一括)
「健全なインターネット」とは 本来こういうものです。
YouTubeの「お住いの地域では視聴できません」など言語道断!
そのうち「アーリア人のみ視聴できます」も出てくるんじゃない?
だいいち、教育の現場で使われるようなコンテンツが、私企業だの、一(出版社に私有されるなんて、どう考えたっておかしい。
予習と復習はどうすりゃいいのさ?そのつどAmazonでDVDポチって置き配してもらうか、Netflixに課金しろってか?
こんな愚痴を誰も見ないネットの場末の個人サイトの片隅で書き散らすのも、
「健全なインターネット」ではありません(暗いしキモいです)。
かと言って、大勢の人が のべつまくなく喚(き散らしてるツイッ○ーみたいな所で、
「オレの話を聞けぇ」と がなるのも不健全です(うざいし嫌われます)。
話がそれました。
以上の点をおさえて見えてくる結論は、インターネットが健全であろうとなかろうと、やるべきことは「良いコンテンツ」を作ることに尽きるということです。
著作権の問題があろうがなかろうが、コンテンツを流通させる場所(がクソであろうとなかろうと、結局は「良いもの」が後世へ残ります。
この点は「その3」でも触れているので省略しますが、ともかく良いと思ったものは、細かいことを気にせず どんどんと保存し、次々と記録してしまえばいいのです。
そうしたくなるような素敵な文章を書く事や おもしろいコンテンツの制作に専念するほうが、コントロール不能な外部環境へ愚痴るより ずっと明るく生産的になります。
愛に溢れた素晴らしい品々やインスピレーションに満ちた作品を創(り、優しい心を奮い起こさせて人々を幸せな気持ちへしましょう。
高潔な想い、徳性や善意を高揚させ、慈しみや博愛の精神を分かち合えるような良品をネットにばらまきましょう。
そうすりゃバタフライ効果とか正のフィードバックで、少しはインターネットも健全へ近づくってもんです。
(けれど 人様のコンテンツを検索流入やPV数稼ぎの捨て駒、広告クリックの踏み台とか課金の誘導へと使うような悪党の経済領域(からは逃げよう)
YouTubeがダメなら自サイトへ埋め込めばいいし、Internet Archive がおしまいだと思ったら、別のアーカイブをすればよいだけの話です。
極論、ネットそのものを見限っても、紙に印刷して製本するなり、タイムカプセルに入れて埋めるなり、石碑でも立てりゃいいのです。
再び話をそらして、裏技的なアーカイブ方法も ちらっと書いてみましょう。
やってはいけませんが、人を殺した後に犯行声明にして新聞社へ送っても後世には残ります(酒鬼薔薇)。
自己責任ですが、文豪になって遺書を残し自殺しても後世には刻まれます(芥川)。
両者の文章は今のところ、どちらも原文ですぐに読めるようです。
人殺しも自殺もめんどくさそうだし 1ミリもやる気はないですが、こういう事例をたくさん調べて教養を深めることは大好きです。
教養があると面白い話がいくらでも書けるようになります。
読んだ人の頭も良くなるので、いまのところは教養バンザイ路線を突き進みます。
教養になるものとは、普遍的価値が高く、流行や一過性のトレンドと違い、人格の向上や精神的成熟を促(す血肉になるようなものです。
それらは、時代を超えて他人と共有できる歴史的知識や経験則であったり、確かな証拠や理論に基づく哲学であったり、幾人もの賢者に鍛えられ 長い年月を生き残ってきた思想だったりもします。
「その3」でまとめた「良いコンテンツ論」と、これら教養バンザイ路線の2つによる厳しい査定を通し、これからは作品を大きく3つに分類します。
良いものは「表層」、微妙なものは「中層」、人様に見せられないようなものは「深層」です。
これまでは気が向いたときに新しいコンテンツを作っては隠しページへ放り込み、作っては放り込みを繰り返してきましたが、今後は3つの分類でキッチリと仕分け 優先順位もはっきりさせます。
これに関しては未公開の新しいトップページに書いてあるので、引用します。
そこで2回目の正式リニューアル「総括」を行い、サイトにある全ての品目をふるいにかけてまとめ上げ、ホームページを表層、中層、深層の3つのステージへ分割。
一番上の表層には為()になる物、人の役に立つコンテンツ、時代や歴史が変わろうと価値の落ちない(落ちづらい)作品を配置。中層には内容的に微妙な物、読んでも教養にならない(なりづらい)物や、専門的なジャンルを配置。深層に至っては、ほぼ役に立たない(と思われる)ゴミや、前衛的で理解の難しい代物()、管理人の黒歴史、危険な作品が封印されてます。
4つ目のステージ「最深部」もありますが、ここはアップロードする前の物(プロトタイプ)や材料(素材データ)、何のために書いたか忘れたメモや ボツになった文章や原稿が圧縮してあるだけです。誰にも見れません。
将来的に必要になるかもしれない資料や 使うかどうかさえわからない拾い物が私物とごちゃまぜで、私以外(私にさえ)役にも立たないデータの塊です。
つまり表層ほどコンテンツの価値が高く有益で、最深部に近いほどゴミやガラクタとなります。
—未公開ページ「星野かなたのホームページ へようこそ」
https://???.?????.???/
以上が「星野かなたのホームページ」の今後の運営方針です。
なお予定通り、月末報告はこの120にて最後にします。
星野さん、お疲れさまでした。
これにて 中間総括を終わりにします。
初版 2023.01.31
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